事が起きてから数日が経つというのに、その議論に終着点は見えない。
甲子園まであと1勝にまで迫った中での、岩手県大会決勝戦で起きた大船渡の指揮官による大英断は今もなお、賛否両論が渦巻いている。
岩手県大会決勝戦、163キロ右腕の大船渡のエース・佐々木朗希の登板回避は正しかったのだろうか。
発端は4回戦で佐々木が投じた投球数にあると思っている。
延長12回を投げ切って194球―――。
これが全ての始まりだった。
岩手県大会を振り返る。
4回戦・盛岡四高を相手に何が起きたのか
この夏、岩手県大会の優勝候補に挙げられていたのは2連覇を目指す花巻東、選抜出場校の盛岡大付だった。この2校を先頭グループに、専大北上や一関学院など私学が上位と考えられていた。公立勢では春季大会準優勝の盛岡四、黒沢尻工や久慈などが甲子園への期待が高いチームだった。
その中での大船渡は春季大会1回戦で敗退したこともあって、ノーシードからの出場だった。
そんな中、大船渡は初戦となった2回戦をコールド勝ちすると、3回戦は先発した佐々木が93球で完封勝利を挙げて、順当に勝ち上がった。そして、一つ目のヤマ場・4回戦の盛岡四戦を迎えた。
春季大会準優勝の盛岡四は強敵といってよかった
佐々木が先発マウンドに立つのは当然だった。メジャースカウトのうち、ヤンキース、ドジャースといったビッグクラブのスカウトが球場に足を踏み入れていた事実を鑑みても、この試合の重要性がうかがい知れた。大船渡にとって大事な一戦だった
大船渡が序盤から優位に試合を進めたが、9回裏に同点に追いつかれると、延長戦に突入。結局、佐々木は延長12回を一人で投げ切ることになった。
その球数が194球だった。
常軌を逸した数字だといっていい。
メジャーリーグや日本のプロ野球でも、先発投手は100~120球を目安に交代させられる。そうした野球界の常識があるのに、そのほぼ倍の球数を投げたのだから、投球数過多と言わざるを得ない。
プレイヤーズ・ファーストの国保監督がなぜ
ただ、これは意外だった。なぜなら、春季大会からの大船渡の指揮官・国保陽平監督の采配からは、いわば、プレイヤーズ・ファーストの観点があるように思えていたからだ。
4月の日本代表選考合宿で計測したと言われる163キロの球速は、骨密度や筋肉の形成が未発達な高校生には怪我のリスクが高い。一説によれば、まだ骨端線が閉じていないとされる成長期の佐々木に対して、国保監督は登板数やスピードを制限するなど、細かな育成順序を計画しているようでもあった。
それだけに、194球も投げさせたという事実はショッキングだった。
プレイヤーズ・ファーストの観点がある国保監督でさえ、無理をさせてしまうのか。甲子園を目指す戦いは、一筋縄ではいかない。そうならざるを得ない空気があるのだ。
だが、そのショックは数日後に和らいだ。
国保監督が見つめていたのが、佐々木のことだけではないと感じたからだ。