文春オンライン

2019/07/30

佐々木の次に投げるピッチャーのストレス

 翌日の準々決勝、佐々木は先発を回避、休養日を1日挟んだ後の準決勝で再びマウンドに上がると、佐々木は9回2安打完封勝利。そして、決勝戦の登板を回避したわけだが、そこで見えてきたのは、佐々木を登板させる試合は完投させるという決め事を国保監督が頑なに守っているように見えたことだ。

 力の差が大きく開いていた2回戦こそ、佐々木は先発して2イニングで後ろにつないでいるが、残りの先発した3試合は全て最後まで投げ切っている。おそらく、国保監督の肚には、佐々木が投げた試合は、彼一人に任せ、そうでないケースを他の投手でやりくりしていこうというものだったのではないか。

 十分に理解できる。

 なぜなら、佐々木を先発させて交代させた場合、次に投げるピッチャーに掛かるストレスが大きすぎるからだ

 昨今の登板過多をめぐる投球制限などの問題で最も語られていないのが、この部分だ。

 エースの後を誰が投げるのか。大量点差がついていれば、諦めがついてスパッと代えられるかもしれないが、同点、あるいは、勝っている中で、絶対的なエースの後を任せられる投手などいるものではない。

 技術的にはもちろんだが、メンタル的な負荷が尋常ではないのだ。

 佐々木が投げる試合は、最後まで佐々木でいく――。

 国保監督はそう肚を括ることで、結果がどっちに転んでも、傷は浅くて済むと思っていたに違いない。ただ、それが4回戦の盛岡四との試合は延長12回までもつれ込んでしまった。結果、球数194という異常な数字を招き、これが尾を引いた。

 4回戦で控え投手の心理的負荷を避けるため、佐々木に無理をさせた。

 国保監督はこの時点で、佐々木のその後の登板は、多くて1試合完投分しか、与えるべきでないと判断していたはずである。

 それが決勝戦になるのか、準決勝戦になるのか。

 国保監督は、準決勝を選んで、その試合に勝ち、決勝を回避した。それが一部メディアやファンの反感を買ったというわけだ。

準優勝の盾を受け取る佐々木投手 ©AFLO

どの試合を回避すれば、みんなが納得したのだろうか

 ここで考えるべきは、この件について大会後になっても議論が止まないのは“決勝戦の回避”だったからなのか、という疑念だ。

 よく考えてみてほしい。

 4回戦の盛岡四戦。

 国保監督が球数にだけ縛られていたとしたら、おそらく、9回の時点で佐々木は代えていただろう。そして、次の投手には大きな負荷がかかり、敗戦もあり得た。

 もし、ここで交代させて試合に負けていたら、人はどう思っただろうか。

 あるいは、4回戦は194球完投したとして、準々決勝と準決勝の両日、登板回避をさせていたら決勝戦は中3日で登板できる一方、準決勝戦を勝ち抜けるという保証はどこにもなかった。

 決勝に佐々木を温存したところ、準決勝で敗れていたら。

 また、あるいは、準決勝にも投げ、決勝戦にも投げて、甲子園に出場を果たしたものの、そこで佐々木の体が悲鳴をあげて、甲子園で登板できていなかったら。

 どのケース、どの試合を回避すれば、みんなが納得したのだろうか。

 国保監督は佐々木に194球を投げさせた時点で、罪悪感に苛まれていたはずだ。どこかで回避しなければいけないのは自明で、その選んだ場所がたまたま決勝戦だったということに過ぎない。

 194球という数字の大きさがあの決断に至った。

 その大きさを考えるべきなのだ。