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ファイターズ・吉川光夫の不器用なルーティンを見て思う、「応援する」ことの不思議さ

文春野球コラム ペナントレース2019

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ふと思い出した女子プロレス観戦中の出来事

 吉川のルーティンに見入るうち、つい先日、女子プロレスを見に行ったときのことを考えていた。スターダムという団体のご招待を受けて、南伸坊さんご夫妻と後楽園ホールに出かけたのだ。まだリング照明が煌々と点く前、南さんと隣り合って席についた途端、「あー、痛い、痛い、痛い」「嫌だ、あー、嫌だ、嫌だ」とひとりごとを言う人に気がついた。ちょうど僕らの前列ひとつ横にずれた位置、大柄の30代くらいの男性。「あー、痛い、痛い、痛い」を最初に聞いたときは具合が悪いのかと思った。急病だったら走って助けを呼びに行かなくては。南さんも心配そうにのぞき込む。だが、どうも急病ということではなさそうなのだ。

「あー、痛い、痛い、痛い」「嫌だ、あー、嫌だ、嫌だ」、割合と大きな声なのだ。それを彼は呪詛のように繰り返している。僕は胸が痛んだ。細かいことはわからない。発達障害みたいなことなのかうつ病のようなことなのか。とにかく不快なのだ。この世界が苦しいのだ。すごくストレートな表出だ。思ったことを口に出してしまう。口に出さずにいられない。僕の心の深いところまで届いてくる。自分が止められない人。苦しくてたまらない人。

 前列、隣りの席の2人組のプロレスファンが係員を呼んだ。どうにかしてくれ、うるさくてたまらない。「あー、痛い、痛い、痛い」「痛い、嫌だ、嫌だ、痛い」、大柄な男は呪詛を続ける。うるさくって試合見るのに差し支えるだろう、どうにかしてくれ。そういうクレームだった。が、係員はどうにもできない。たぶんバイトだ。呪詛の男を座席から排除するという判断がバイト係員にはできない。結局、あいまいなことを言ってどっかへ行ってしまった。

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 そして前座アイドルの歌が始まり、強烈なライトが灯って試合が始まる。選手登場曲。派手な入場コスチューム。ギミック。決めポーズ。打撃技。スープレックス。受け身。トペ・スイシーダ。場外乱闘。フォール2.5秒。リングをばんばん叩き、煽る若手たち。マイクパフォーマンス。南伸坊さんが「あ、言わない」とつぶやいた。前列男性の呪詛が止んでいた。彼は夢中でレスラーたちを目で追う。隣りの2人組は係員に対応を求めなくてもよかったのだ。止まるから。世界が彼にもたらす不快、痛みを唯一、救ってくれるのが女子プロレスだから。

「応援する」という行動の不思議さ

 たぶんそういうことだと思ったのだ。

 僕はけんめいに不器用なルーティンを繰り返し、それでも打たれて負けてしまった吉川光夫の姿をHDDで再生する。そして「応援する」とか「推す」とかいう行動の不思議さを思う。僕らは普段、あんまり深く考えないからこっちが一方的に主体で、「推し」は一方的に見られ、愛でられ、あるいは評価され、ディスられたりもするような客体だと思って暮している。だが、そうだろうか?

 僕も世界が不快で、痛くてたまらなくて、泣きそうだとしたら? 「応援」しているとき「推し」ているときだけ、楽になれる、助かるのだとしたら? 野球がなかったら他にどうしようもないじゃないか。そう思うと吉川光夫は確実に僕を助けてくれている。数字の上の2敗なんて小さなことだ。

 女子プロレス会場の前列にいたのは実際のところ、僕なのだ。世間体を気にして口を閉じているが、僕なのだ。「痛い」「嫌だ」と言わないだけだ。僕は吉川に勝ってほしい。そしたらきっと心の深いところで幸せだと思う。

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