90年代 左腕エース・野村弘樹の奮闘ぶり
00~01年に在籍した小宮山悟は両年とも3完封をマークし、それぞれ1-0を1試合ずつ。さすがは「投げる精密機械」である。1990年代後半は大魔神・佐々木主浩がいたため99年9月19日の三浦大輔が唯一で、優勝した98年も1-0が5試合あるが、すべて佐々木が最後を締めている。また94年9月23日には加藤将斗がジャイアンツ・桑田との投手戦を制し、最後はサヨナラで1-0完封。加藤と聞くと武治が思い浮かぶファンも多いと思うが、ベイスターズ初期の期待の左腕、将斗も忘れてはならない。
この時期で特筆すべきは左腕エース・野村弘樹の奮闘ぶり。15勝を挙げた91年はカープ戦2試合、17勝で最多勝に輝いた93年にはジャイアンツ戦とカープ戦で1試合ずつ1-0完封を達成している。野村の1-0完封通算4度は90年代以降チーム最多。また90年には右腕エース・中山裕章がシーズンに2度マークした。
80年代の絶対的エース・遠藤一彦はさぞかし1-0完封も多かろう……と思いきや82年に2試合、83年と86年の1試合ずつの計4度。しかし遠藤の場合は11回を完封しながらの引き分け(86年6月28日ドラゴンズ戦)や、同じく11回を1失点完投しての引き分け(85年7月9日カープ戦)といった惜しいケースが多々ある。
投高打低傾向が強かった60年代後半~70年代
少ない援護を必死に守り抜いた60年代後半~70年代のエース・平松政次はそのイメージ通りに1-0完封を6度記録。72年9月11日阪神戦では延長14回を完封しながら0-0で引き分けている。この時代は投高打低傾向が強く、2-1や1-2、0-1で決着が付く試合が多かった。また73年にはシーズン3度の1-0完封(高橋重行2完封、小山正明1完封)をマークしたが、3試合ともヤクルト戦で、相手はいずれも安田猛が1失点完投という珍しいケースだった。
そして秋山登、稲川誠、島田源太郎ら強力投手陣を擁した50年代後半~60年代は秋山が通算9度、稲川が通算5度、島田と鈴木隆が通算3度の1-0完封をマーク。秋山の9度は球団史上1位、稲川の5度は史上3位で、50年代にはホエールズ初期の主力投手、江田貢一が4度記録している。さらに大洋ホエールズ初優勝時の1960年日本シリーズでは、継投による1-0完封が4連勝中2試合もあった点も見逃せない。
競った試合でもチャンスを何度も逃しているとフラストレーションがたまるが、18日のような緊迫した投手戦は野球の醍醐味。そんなどうしても1点が欲しい展開で、途中出場から初球を振り抜いてホームランを打つJ・ロペス。「この1点で勝てる!」と思わせてくれた頼れる男のゆっくりベースを回る姿も、今永の鬼気迫った表情と共にずっと脳裏に残っているに違いない。
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