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SMAPはラフに踊るからメンバーの個性が際立つ

近田 ブレイクし始めたころのSMAPって、ダンスの振りがけっこうラフだったよね。ジャニーズの伝統と照らし合わせると、ちょっと生身な感じがして。

矢野 脱力感がありましたよね。

近田 うん。そこが新鮮だったんだと思うよ。

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矢野 ミュージカル的な振りだときびきび揃っていますもんね。

近田 ちょっと揃いが悪いのよ。ヘタというのとは違うんだけど、メンバーそれぞれの個性が際立つというかさ。

 それまでのジャニーズの人たちはさ、今言ったようにミュージカルみたいな意味で、役を演じるというか、内側の人間性は出さないんだけど、SMAPはそれが妙に出る。街を歩いている普通の男の子の感じがちょっとあったんだよね。

矢野 僕が『SMAPは終わらない』という本で強調したのは、「ディスコからクラブへ」ということです。

近田 例えばそういうことかもしれないね。

矢野 ドレスコードがあって、大バコではみんなが同じステップを踏むみたいなディスコの文化じゃなくて、フラッと普段着のまま行って、好き勝手に踊って帰りたい時間に帰る。そういうクラブに流れている音楽みたいなイメージでした。

近田 ちょうど音楽の流行もクラブ系だったしね。

矢野 服装も普通っぽくて親しみやすいなって、当時思った記憶があります。

近田 やっぱりSMAPのところで何かが変わったことは確かだと思う。

矢野 全然関係ないですけど、近田さんのアルバム『電撃的東京』(1978年)は自意識を廃しているように聞こえるんですけど、どういうふうに作られたんでしょうか?

近田春夫&ハルヲフォンが78年に発表したサードアルバム『電撃的東京』。森進一の「東京物語」、山本リンダの「きりきり舞い」、平山三紀の「真夜中のエンジェル・ベイビー」といった歌謡曲のカバーを収めた名盤。

近田 そろそろ次のアルバムを作らなきゃというときに、曲があんまりできてなかったんだよ。

 銀座のディスコで箱バンをやっていてレパートリーが増えたのと、当時は郷ひろみとか歌謡曲にはまっていたから、そういうのをセックス・ピストルズみたいにやったらかっこいいからやろうぜ、みたいな。ものすごく低レベルな発想。

 そしたら受けちゃったんだよね。自分の曲はほとんどないから、受けても儲からないんだけどさ(笑)。

矢野 「恋の弱味」も「ブルドッグ」もやっていますよね。

近田 「ブルドッグ」にはショックを受けたからね。日本の芸能界的な歌謡曲にロックを見出すという、無理やりなことをやる遊びだったんですよ。

矢野 自作自演がホンモノで歌謡曲はお仕着せだからニセモノみたいに言われがちですけど、僕は理屈っぽく考えちゃうところがあって、「考えてみれば人前で歌っている時点で演じているんじゃん」と思ったら、自我を押し出してくるロックのほうにどこかわざとらしい印象を抱いて、むしろパフォーマンスに徹するジャニーズの身体的な躍動のほうに、ある種のリアルさを感じたりしました。

近田 その気持ちはすごくわかりますよ。自分の中にはその両方があるんだけど、当時は本当に世の中がすごくロックに傾いていた時代で、今、言われたショービズ的な考え方はダサいものみたいな風潮があったんですよ。