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豊川誕とJJS 低迷期のアイドルたち

関ジャニ∞、KAT-TUN、THE GOOD-BYE、Sexy Zone……。さまざまなグループの名が話題に上る。

近田 俺はTHE GOOD-BYEはなんとなくピンとこなかったんだよね。ヨッちゃんって別にジャニーズにいる必要ないじゃん。

矢野 たしかに「自分たちで曲を作ってやります」みたいな感じは、ジャニーズの中では特異なポジションでした。だから中途半端になったのかもしれませんけど。

近田 ジャニーズの中で唯一フォークっぽいかもね。

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矢野 そうですね。豊川誕なんかもフォークっぽいけど、あれは演出ですからね。

近田 豊川誕の場合は、売りは音楽じゃないから(笑)。「孤児院出身」。

矢野 ムチャクチャですよね。

近田 因果ものだよ。そこを強調しすぎて失敗したと思うんだ。最大のヒット曲の歌詞が《可哀そうな 星めぐり 人に言われて 気がついた》(「星めぐり」1975年 作詞/安井かずみ 作曲/平尾昌晃)だよ。《親のない子は 焼かないパンを/喉に詰まらせ 水を飲む》(「白い面影」1977年 作詞/阿里あさみ 作曲/浜圭介)とかさ。そんな暗いのが売れるわけないじゃん(笑)。

矢野 寺山修司も作詞していましたよね(「ぼくの消息」1976年)。

近田 豊川誕からたのきんトリオまでの間の低迷期は面白いんですよ。君が生まれるより前だけど。

矢野 70年代後半はいろいろな人が出ては消え、出ては消え、ですよね。

近田 豊川誕が失速して、次はJJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)じゃん。あのあたりからどんどんダメになってくる。

矢野 JJSはデビュー曲が「ベルサイユのばら」(1975年)なんですよね。ジャニーさんが宝塚を参考にしているからかなと思うんですけど、最近Sexy Zoneが宝塚のバラのモチーフでやっていて、JJSの系譜なんだなと思いました。

近田 ああ、そうだったね。あそこ、系譜はずっとあるよね。

矢野 マリウス(葉)くんの母親は宝塚出身ですし。

近田 詳しいね。俺、そういう背景はよく知らないから。

矢野 面白いのは、マリウスくんは母親のようになりたかったんですけど、男性だから宝塚には入れなくてジャニーズに入ったという経緯なので、本当に系譜としてはしっかりとつながっているんですよ。

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記事提供:CREA Web

近田春夫(ちかだ はるお)
1951年東京都生まれ。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。80年代以降はビブラトーンズなどを率いてバンド活動を続ける傍ら、タレント、ラジオDJ、作詞・作曲家、CM音楽作家など多彩に活躍する。86年にはプレジデントBPMを名乗って日本語ラップの先駆者となり、87年には人力ヒップホップバンドのビブラストーンを結成。96年からは週刊文春で「考えるヒット」を連載。現在は、元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」として活躍中。2018年10月には、ソロアルバム『超冗談だから』をリリース。12月には、OMBとのユニット、LUNASUNのアルバム『Organ Heaven』が発売された。

矢野利裕(やの としひろ)
1983年東京都生まれ。批評家、ライター、DJ。東京学芸大学大学院修士課程修了。2014年、「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と二十一世紀』(おうふう)、単著に『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」』(垣内出版)、『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』(Pヴァイン)がある。

考えるヒット テーマはジャニーズ

近田 春夫

スモール出版

2019年2月18日 発売