28年7ヶ月――。死刑囚として獄中に閉じ込められた末、ようやく無罪を勝ち取った青年に残されたものは、自由と引き換えに失われた人生だった。
警察が隠し続けた証拠、崩れ落ちる自白の信用性、そして……。冤罪が終わったあとも続いた、重い苦労とは? 新刊『世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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あえて証拠を出さなかった警察
裁判所が有罪・死刑の決め手としたのは、斎藤さんの自宅の掛け布団に付いていた血痕である。
警察によると、斎藤さんは犯行後返り血を浴びたまま自宅に戻り布団で寝たが、その際に布団の襟当てに80数ヶ所の血痕が付着したのだという。大学教授による血液鑑定で、この血痕群と被害者の血液型が一致したと発表され、仙台高裁は、掛け布団の血液は返り血を浴びた斎藤さんの頭髪を介して付着したものと認定した。
しかし、これは警察が斎藤さんを犯人に仕立て上げるための完全な捏造である。警察が斎藤さんの自宅から押収した布団の写真には血痕(とも取れる染み)が1個程度しか映っていない。つまり、血痕は逮捕後に警察が被害者の血液を意図的に付着させ作った偽の証拠品だった。
さらに警察は証拠隠滅も働いていた。斎藤さんの自白では「犯行の返り血でズボンやジャンパーがヌルヌルした」となっている。
が、警察は、事件直後に血液鑑定を行い着衣に血痕の付着がない事実を知っていたにもかかわらず、死刑判決が出た第一審に血液鑑定書をあえて提出しなかった。
