弁護団の強い要請で、第二審の結審に提出されたが、仙台高裁は「犯行直後、被告人が溜池で洗ったり、その後も洗われているので血痕が付着していない」と、警察に都合の良い判断に固執した。
刑確定後も斎藤死刑囚は獄中から無罪を訴え、1961年3月に仙台地裁古川支部に再審請求を行うも、同地裁はこれを棄却。その後、仙台高裁が即時抗告を、最高裁が特別抗告を退け(1969年5月)、再審の扉は開かなかった。
1969年6月の第2次再審請求も地裁が棄却したが、弁護側の即時抗告に対して高裁は1973年8月、審理を地裁に差し戻すよう決定。
地裁で改めて検察、弁護側双方が請求した証拠を取り調べ、証人尋問を行ったほか、検察側にこれまで裁判所に提出されていない「不提出記録」の開示を勧告し、検察側が363点の証拠を開示。
争点は斎藤さんの自宅から押収された掛け布団の襟当てに付着していたにもかかわらず、犯行着衣とされたジャンパーとズボンから血痕が検出されなかったことを踏まえての自白の信用性に絞られた。
1979年12月6日、仙台地裁古川支部は、掛け布団に付着した血痕について旧鑑定の証拠価値は著しく減弱し、ジャンパーやズボンは当初から血液の付着がなかった可能性が高いとしたうえで、自白には真実性が欠けると判断、再審開始を決定した。
28年ぶりの釈放
そして、5年後の1984年(昭和59年)7月11日、同地裁が無罪を宣告。斎藤さんは28年7ヶ月ぶりに獄中から釈放される。
判決では、上京は高飛びではない、警察は素行不良者に対する予断と偏見に基づいて見込み捜査を行った結果、違法な別件逮捕に踏み切ったと断定。
