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 86年に雇用機会均等法も施行された。女性だけでなくお2人平等に情報を、というくらいまではメディアの意識も変化していたということだ。でも、デリケートさは所詮そこまで。

「雅子さま、殿下と私室に“こもりっきり”!」

「女性自身」がご成婚直後から始めた連載「雅子さまの幸せ“ハマナス日記”」にはこんな見出しがある。

「雅子さま、“マタニティ風スーツ”と5日間のご静養!」(11回・10月5日号)

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 いま職場で新婚女性に「あら、そのスーツ、もしかして赤ちゃん?」などと言おうものなら、即アウトだ。だが雅子さまに限っては「あり」だった。

97年、園遊会で 宮内庁提供

 そもそも6回(93年8月24日号)でもう「雅子さま、“ご懐妊態勢”に『もしや?』の声!」と打ち上げ、12回(10月12日号)は思わせぶりに「周囲も声をかけにくい――雅子さま、殿下と私室に“こもりっきり”!」と書く。

 あからさまな「ご懐妊押し」だ。

 美智子さまは結婚10カ月後、紀子さまは1年4カ月後に第一子を出産されている。実際10月5日号“マタニティ風スーツ”の記事は、「ご成婚から3カ月だが、美智子さまもその頃に懐妊の兆候が見られ、紀子さまは懐妊発表の翌日からマタニティ風ドレスに変わった」などと書いたあと、「雅子さまにも、いよいよ……?」と締めくくっている。

97年、御料牧場で 宮内庁提供

 これまた元雑誌記者として当時の編集部の気持ちを代弁するなら、「美智子さまも紀子さまもそんな感じだったんでー、そんなこともあるかなー」くらいだったと思う。

 悪気がないというか、気楽な感じというか。編集部の気持ちをさらに代弁するなら、「国民も期待してるんでー」だろうと思う。

ご体調の説明で「生理がありました」

 期待していたのは国民だけではない。皇室医務主管を長く務めた金澤一郎さんの証言を紹介する。雅子さまの「適応障害」になった背景についてこのように語っているのだ。

〈ご成婚前にいわゆる「皇室外交」もできるからと説得をお受けになったようですね。ただ、皇室に入られてからは、想像されていたことと違うことがさまざまおありになったと思うのです。皇室では、外国の王室も同様ですが、まずは『お世継ぎ』を期待されます〉(「文藝春秋」12年8月号)。

 要は雅子さまは、メディアからだけでなく皇室内部でも、ガンガン「ご懐妊はまだか」光線を浴び続けたということだ。

2002年、会見にて懐妊から出産を振り返り涙ぐまれる雅子さま 宮内庁提供

  お2人の結婚3年目から5年目に毎日新聞の宮内庁担当記者をしていた森暢平さんは、東宮侍医が雅子さまの体調を説明するのに「生理がありました」などと言うことに、「最大のショック」を覚えたと語っている(「AERA」06年3月27日号)。「ご懐妊の情報を知るのが仕事とはいえ、人の奥さんの生理の周期を聞かされることに違和感を覚えました」と。