2019年上半期(1月~6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。エンタメ部門の第1位は、こちら!(初公開日 2019年4月11日)。

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 平成の音楽・芸能界、とくにアイドルの世界では、小室哲哉、つんく♂、秋元康などプロデューサーが注目されることが多かった。一方で、アイドルにカテゴライズされた女性芸能人にも、自分で曲や歌詞を書いて歌うなど、プロデュースを手がける傾向が目立つようになった。最近でいえば、指原莉乃はHKT48に所属しながら、=LOVE(イコールラブ)というアイドルグループのプロデュースを手がけ、詞も提供している。あるいは、眉村ちあき(来月メジャーデビュー予定)のように自分で曲をつくって歌うだけでなく、自ら会社を設立して活動を展開している異色のアイドルもいる。

1969年生まれ、50歳の誕生日を迎えた

 そうしたセルフプロデュース型のアイドルの先駆けというと、森高千里が思い出される。森高はまさに平成の初め、「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」「気分爽快」など自ら作詞を手がけた曲を次々とヒットさせた。1969年4月11日生まれの彼女は、きょう50歳の誕生日を迎えた。ちょうど現在、1月からスタートした全国ツアーの真っ最中である。

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森高千里

 筆者が初めて森高千里という歌手を知ったのは、たしか中学2年だった1990年、ラジオから「臭いものにはフタをしろ!!」という曲が流れてきたときだった。これは、男が若い女性を相手にロックについてしたり顔で語って聞かせるのを(いまでもSNSでありそうな光景だが)、皮肉交じりに歌ったコミカルな曲だ。恋愛ソングが主流だった時代にあって、その歌はあきらかに異彩を放っていた。

 森高はこの前年の1989年には、南沙織の1971年のヒット曲「17才」をカバーし、そのシングルが20万枚の売上を記録していた。同年にはまた、収録曲に「17才」を含む『非実力派宣言』という開き直りともとれるタイトルのアルバムをリリース。そのジャケットでは、スペースオペラのヒロインのような、どこか現実離れした超ミニスカートのコスチュームで美脚を惜しげもなくさらし、話題を呼んだ。とはいえ、こうした独自の路線を開拓するまで、彼女はスタッフとともに試行錯誤を重ねてきた。

『非実力派宣言』(1989年)のジャケット