Q ゴキブリ、蚊。昆虫学者として駆除に抵抗ありませんか?
日常生活でゴキブリや蚊などの、いわゆる害虫と接触する機会も多かろうと思いますが、「観察」と「駆除」の線引きはどの辺で引かれるものなのでしょうか?(40代・男性)
A 「そんなに悪いことしてないのになぁ」と思いながら駆除することもあります
結論からいえば、「観察」と「駆除」の間の線引きはなく、「観察」の延長線上に「駆除」があります。
ご質問の内容を咀嚼しますと、「観察」ニア・イコール「愛でる」、「駆除」ニア・イコール「忌み嫌う」という受け止め方で、害虫といえども昆虫なんだから、昆虫学者として、この両者の線引きにさぞや悩んでいるのではないか、というご意見と理解致します。
実は、私自身、昆虫学や生態学という生物を対象とした研究をする身として、当然これらの生き物に興味や関心はありますが、ぶっちゃけ、愛してはいません……。子供の頃から昆虫やザリガニ、カナヘビなどを採集して飼育するというよくある生物学者の卵が通過する経験を通して、人間とは全く異なる姿形や生活史に猛烈な好奇心がかき立てられ、いろんな餌を試してみたり、異なる種のカマキリ同士を交尾させてみたり、スケッチを描いてみたり、とひたすら実験と観察を繰り返していました。
恐らく、自分にとって、昆虫や野生動物の魅力というのは、人間とは全然違う「異質性」にあったのだろうと思います。なので、そうした生物をモチーフにして、あるいは人間の想像に任せて造形された「怪獣」や「エイリアン」も大好物であり、今でも、それらのフィギュアをかき集めるのが趣味になっています。
好きな害虫もいますし、逆に蝶には関心がありません
さて、話を「観察」と「駆除」の線引きに戻します。実際の現場では、害虫といわれる嫌われ者の昆虫・動物でも、私にとっては重要な観察対象となります。どんな姿形をしているのか、何を食べて生きているのか、寿命は? 産卵数は? 天敵は? ……などなど、その生態的特性を徹底的にリサーチして、そのうえで「駆除方法」を検討します。駆除をするにも観察が必要であり、観察している間は、害虫たちの異質性に興味津々です。
まぁ、ムシを愛してなんかいない、とは書きましたが、冷静に考えてみれば、これだけ相手に高い関心と興味を持っている時点で、それは「愛している」ことを意味しているのかも知れません。
ちなみに「愛すべき昆虫」と「害虫」の線引きは、もはや好みの問題だとしか言いようがありません。公的機関に勤務する研究者として、行政や市民が「退治してほしい」と考える害虫に対しては、責務として駆除手法を検討しますが、必ずしもそうした害虫が自分の中でも「悪い奴ら」だとは限らず、「かっこいいムシなのになぁ」とか「そんなに悪いことしてないのになぁ」とか思いながら駆除することもあります。で、逆も真也で、多くの人が可愛いとか奇麗とかいう昆虫でも、自分には全く関心のない種もいます(例えば蝶なんかには見向きもしません……)。
端的にいえば、学者といえども人の子で、好む・好まざるで研究対象に対する愛情は変わります。
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