ホークスファンはみんな、岩嵜翔のことが大好きだ。
ドラフト1位で市立船橋高校から入団してきた右腕はすらりとした長身で見た目もよく、まるで王子様のようだった。まだ10代だった頃には先輩から「よ、幕張のプリンス!」とイジられると「いや、船橋です」と照れながら返していた。いや、プリンスは否定せんのか~いとまた場が笑いに包まれる。特におもしろキャラというわけではないが、爽やかな風をさっと吹き込ませる不思議な魅力のある男なのだ。
プロに入った頃から素晴らしいストレートを投げていた。ちょうど斉藤和巳がマウンドから離れた時期の入団だったこともあり、ファンは系譜を継ぐ大エースに、と大いに期待を寄せた。岩嵜本人も自覚は充分で、4年目のプロ初勝利のお立ち台では涙ながらに「いつかホークスのエースに」と発言してファンの心をまた大きく揺さぶったのだった。
ただ、なかなか活躍できなかった。1勝目までも時間がかかったが、ローテ定着が期待された翌年は5勝10敗と負けが大きく先行した。能力の高さは誰もが認めるところだったが、若手時代は体力不足から先発よりもリリーフで活路を見出されることが多かった。一方で先発の谷間では必ずといっていいほど名前が挙がり、どちらの働き場所でも一定以上の結果は残してきた。首脳陣にとってはありがたい存在。ただそれは、器用貧乏でしかなかった。
便利屋から球界を代表するセットアッパーへ
そんな岩嵜がプロ10年目にして真の飛躍を遂げた。'17年、本格的にリリーフ一本で勝負をかけると72試合登板、46ホールドポイントといずれもホークス球団記録を樹立する大車輪の働きを見せたのだ。
脱皮を実感した登板がある。それは'16年9月19日のオリックス戦(ヤフオクドーム)だった。シーズン終盤の1つも試合を落とせない状況の中、延長11回から登板した岩嵜は2イニング目の12回に1死満塁の大ピンチを招いてしまう。打席にはこの年20本塁打の難敵T-岡田を迎えた。その威圧感にやられてしまったかのように、腕が縮こまり3ボール1ストライクとしてしまった。
「昔の自分ならば、あのままダメだったかもしれません」
しかし、ここからが見事だった。この局面で心を入れ直して思いっきり右腕を振り抜いた。直球勝負でカウントを整え、6、7球目も150キロ超でファウル。8球目、151キロでバットに空を切らせたのだった。
「以前は目の前の結果ばかりを気にして小さくなっていた。あれ以降は自分のできることに集中して、攻めていって点を取られたら仕方ないと思って投げています」
もう便利屋から卒業だ。球界を代表するセットアッパーの仲間入りを果たした。
ホークスファンは思ったのだ。夢なんて叶わないと冷たく言い放つ人もいるこの世の中だけど、信じればそれはいつの日か必ず報われるのだ、と。岩嵜の成功体験はファンのそれでもあったのだ。