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頼りにされれば燃える男・ゲレーロが巨人の救世主になる日

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/09/08

 えっ、ゲレーロに送りバントかよ……。しかもうめぇ。

 8月17日の阪神戦。6回無死一、二塁で、にわかに信じがたい光景をテレビ越しに目にした。ゲレーロといえば何が何でも打ちたいタイプで気性が荒いところもある。だから、これはやばいっしょ、内心穏やかじゃないでしょ、怒るんじゃないの、と思った。俺に何でバントなんだ、打たせろよ、ってなるに違いない。そしたら、マイルドなドヤ顔でベンチへ引き上げるではないか。充実した満足げな表情にも見える。思わず笑ってしまった。一体、どうなってるんだって。

 もちろんバントがうまいことにも驚いたが、一流打者はバントも一流と僕は勝手に思っている。福留孝介だって、村田修一だって抜群にうまい。まあそれはともかくとして、この献身的なこのプレーに驚いた。中日時代に見たゲレーロはナイスガイに違いない。ただ野球になれば我が強く、チャンスでは打ちたい。自己主張も激しいようなタイプだった。だから黒子に徹して満足というのはちょっと想像がつかなかった。

ポップフライを量産していた中日時代のゲレーロ

 翌日、2年ぶりに東京ドームを訪れた。もちろん気になるのはゲレーロ。

 でも仕事ではない。プライベートってやつだ。席は三塁側スタンドの記者席、ではなく一塁側。ファンの熱気が伝わってくる。さらに右手にはスコアブック、じゃなくてビール。野球観戦とは実に幸せなものだ。

 試合開始が近づきベンチから軽快な足取りでレフトのポジションに走っていく背番号44の姿があった。なんか以前とは表情というか雰囲気が少し違う気がする。ユニフォームが変わったからではない。

 やっぱり違った。このゲレーロはチャンスでも頼れる。

 1点差に迫られた直後の7回2死一、二塁。この試合のターニングポイント。ここで無得点なら流れが変わる。と、思っていたらシャープなスイングで鮮やかに外野の頭を越えてみせた。この2点二塁打で試合は決した。

 中日時代ならこんな時は何が何でも俺が決めるとガチガチになってのフルスイング。力み倒してポップフライが平常運転だった。チャンスにリラックスして、打てる球を見極めてドカン。やっぱり何かが違う。

以前とは雰囲気が少し違うゲレーロ ©時事通信社

 ここでちょっと中日時代にさかのぼってみたい。

 2017年の春季キャンプ。沖縄・北谷球場で初めてゲレーロを見た。噂には聞いていたが本当にすげえ。ティー打撃では力感のないフォームから外野の防球ネットへ次々と打球を突き刺す。あんな軽いスイングで、なぜこれだけの飛距離が出るのか。決して体も大きくないのに。でも僕以上に隣にいたベテラン記者は興奮したようで、眼鏡がずれているのも気にせず「これは本物だ。とんでもないのが来た」なんて大騒ぎしていた。そんな状況もあって期待は高まっていった。シーズン中にすごいシーンが見られるに違いない。

 ところが、だ。

 開幕直後こそ良かったものの10試合もたたないうちに急降下。

 打てない、どころかバットに当たらない(ある意味、衝撃的なシーンを見ていた気がするが)。あの力感のないフォームはどこへやら。力み倒したフォームからポップフライを量産。シーズンが進むにつれて良くなってはいったが、ここ一番には弱いイメージだ。打率2割7分9厘、35本塁打、86打点でホームラン王を取ったことは素晴らしいし、数字も文句のない。ただ、そこまで打っていた印象がない。なぜならゲレーロのホームランで原稿を書いた記憶があまりないから。下位に沈むチーム状況もあるのだが、それはつまり試合に関わる一発が少なかったということ。ここぞの場面で力んでポップフライが多く、チャンスに弱い印象だった。でも、今思えば、それはこの男に最も必要なモチベーションというものが欠けていたからかもしれない。

 ゲレーロは本来、まじめで責任感の強い男だと僕は思う。

 先ほども触れたように開幕してすぐに結果の出ない日々が続いた。

 あるナイターの日。午後1時過ぎにナゴヤドームに行くと打球音が聞こえてきた。若手の練習かなと思い、ややうす暗いグラウンドに目を向けたらゲレーロが黙々とバットを振っていた。スタンスを確認するため足元にバットを置いたり、打撃コーチに助言を仰いだり。とにかく必死だった。プライドが高いメジャーリーガーだと思っていただけに意外だった。この特打は1日だけでなく数日間続いた。