「応燕ドルフ」と名乗る青年
自らを「応燕ドルフ」と名乗る青年がいる。東京生まれ、東京育ち。25歳、社会人3年目の若者だ。中学校に入学する頃、たまたま友人に誘われて神宮球場のオープン戦に出かけた。特にヤクルトびいきというわけではなかったけれど、ライトを守っている選手が気になった。当時、ライトを任されていたのはアーロン・ガイエルという外国人選手だった。ガイエルはイニングごとに、ライトスタンドに陣取るヤクルトファンに向かってボールを投げ入れてくれた。
(ファンに優しい選手だな……)
彼は一瞬にしてガイエルのファンとなり、ヤクルトを愛するようになる。それから、12年が経過した。ガイエルは引退し、現在ではヤクルトのアドバイザーとしてアメリカでのスカウティングを担当している。一方、中学生だった少年は社会人となり、自らを「応燕ドルフ」と名乗って、神宮球場に日参している。ヤクルトファンの方なら、「応燕ドルフ」という名前にピンとくるだろう。2017(平成29)年の一年間だけ、チームに在籍した「ロス・オーレンドルフ」をもじったハンドルネームだということに。
先発ローテーションの一角として、鳴り物入りで入団したオーレンドルフ。ヤンキースやパイレーツなどに在籍し、メジャー通算30勝を記録していた。しかし、彼はヤクルトでは1勝も挙げることなく、わずか4試合に登板したのみ。シーズン途中でチームを去った。当時、ピッチングコーチだった伊藤智仁は「あっという間の出来事やったな」と振り返る。この年、ヤクルトは球団ワーストとなる「96敗」を記録。ファンにとっては悪夢のような一年だった。この年を象徴する外国人助っ人、それがオーレンドルフだった。
青年は、オーレンドルフが大好きだった。大学を卒業し、社会人1年目となったこの年、彼は初任給でオーレンドルフのレプリカユニフォームを買った。4月の給料を手にしてすぐに注文したものの、受注生産だったため、彼がユニフォームを手にしたのは6月のことだった。しかし、このときにはすでにオーレンドルフは二軍に降格した後だった。「主なきユニフォーム」を手にして、青年は複雑な思いのまま神宮球場に通い続け、ときにはファームまで彼に会いに出かけた。
青年は今でも神宮球場でのヤクルト戦にはほぼ駆けつけている。自らを「応燕ドルフ」と名乗り、ツイッターのアイコンにはオーレンドルフの顔写真をいまだに使っているにもかかわらず、現在の彼が着ているのは初任給で買ったオーレンドルフの背番号《34》ではなく、背番号《45》のユニフォーム。そう、デーブ・ハフのユニフォームだ――。
ハフからプレゼントされた感激のグローブ
元々、彼は外国人選手が好きだった。オフシーズンになり、スポーツ紙に「ヤクルト、新外国人○○を獲得!」というニュースを見るたびに、すぐにネットで検索。その選手の動画を見て、「カッコいいな」「活躍しそうだな」と静かな興奮を覚えていた。しかし、外国人選手はある意味では水物であり、額面通りの活躍をするとは限らない。期待を裏切られることだってある。そう、あのオーレンドルフのように。それでも彼は、未知なる外国人選手に対する前向きな希望を失うことなく、常に明るい未来を思い浮かべていた。
昨年、ヤクルトに新たに加わった新戦力、それがマット・カラシティーとハフだった。青年はもちろん、獲得報道を知ると同時に動画で両外国人をチェック。すぐに、ハフのピッチングフォームに魅了された。特に、「セットポジションのときの足の使い方がカッコいい」と思った。また、サングラスフェチでもある青年にとって、ハフが使用しているスポーツ用のアイウェアは、さらにカッコよく思えた。
彼はハフのユニフォームを購入することを決めた。もちろん受注生産だ。オーレンドルフの二の舞にならぬよう、2月に注文し、4月には手元に届いた。これならば、「主なきユニフォーム」となる心配はない。当初は先発投手として、なかなか結果を残せなかったハフだが、シーズン途中で中継ぎに転向すると本来の力を発揮。チームに欠かせない貴重な戦力となっていく。
この頃から、青年の神宮球場通いが過熱すると同時に「ハフ愛」が強くなってくる。毎試合終了後、クラブハウス前で帰宅するハフの見送りをするようになったのだ。ハフが登場するのをひたすら待ち、本人が現れると、背番号《45》のユニフォームを掲げて、「ハフ!」と叫ぶようになった。その姿を見て、ハフも片手を上げて応えてくれるようになる。
そして、昨年の神宮最終戦後に、「事件」は起こった――。
「今季最後のあいさつを」と意気込んでいた青年の前にハフが現れる。すると、ハフは青年のもとに歩み寄り、自らグラブをプレゼントしてくれたのだ。一体、何が起きたのか、状況を把握するのに時間がかかった。しかし、間違いなく、ハフは青年の姿を確認すると、真っ直ぐに歩み寄り、グラブを手渡した。一年間、熱い声援を送り続けたことが報われたのだ。青年の瞳が熱く潤むと同時に、「一生、ハフについていこう」と決意した瞬間だった。