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最後の試合を前に……ロッテ・福浦和也が思い出す恩師・山本功児の言葉

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/09/22
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今でも大事にしている山本氏からのアドバイス

 99年からは山本氏が一軍監督に就任した。一軍で結果を出し始めた00年。試合に敗れると「ちょっと、来い」と一塁側ブルペンに呼ばれて「ルーティンだけはしっかりとやれよ」とアドバイスされた。いつもこの場所で練習後に特打ちを行っていたこともあり、打撃指導をされるかと思ったが、強い口調で説かれたのは技術論ではなく「ルーティンの大事さ」だった。

「自分が慌てて打席に入っているように見えたのだろうね。まだ若かったから回の先頭打者の時とかは急がないといけないという感じもあった。監督の目からは準備不足に映っていたのだと思う。それから約束は守っている。毎回、どんな打席でも必ずルーティンを大事にしている。引退する今年までね」

 ネクストバッターズサークルでバットにスプレーをかけ、2度、屈伸をする。席に入る際も再度2度、屈伸をする。それらのルーティンは月日が流れた今でも必ず行っている。

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「絶対に打席に入る際に屈伸を2回する。それはもう絶対。あれはずっとやっている。やっぱり一定の流れで打席に入る事でリズムが生まれる。いつも同じ気持ちで落ち着いて打席に入れるようになった。1打席を大事にする心構えにもなっている。あの言葉は忘れない」

「オマエが打つようにならないとマリーンズは勝てないんだよ」

 山本氏は2016年4月23日、64歳で永眠した。福浦は年齢を重ねてもアドバイスを忘れることなく毎打席、ルーティンを繰り返しながら2000本のヒットを積み重ねた。投手から野手転向を進めてくれた恩師。二軍監督時代には二人三脚で特打を繰り返し今の土台を作った。そして忘れることのない数々のアドバイスをくれた。

「電話では何度かお話をしたけど最後にお会いしたのは山本さんが巨人のヘッドコーチを務められていた時の交流戦かな。現役最後の姿を見て欲しかったという想いはある。寂しいよね」

 強烈に残る山本氏の記憶が福浦にはある。一軍監督退任が決まった03年10月12日のシーズン最終戦。本拠地マリンでの試合には3万人の観衆が詰めかけた。オリックスに5―1で勝利。試合後、「山本マリン」の地鳴りのようなコールが響き渡った。選手たちは当初の申し合わせ通りベンチ前で山本氏を胴上げしようとした。しかし指揮官は固辞した。強く断った。そして選手たちの輪の真ん中で「胴上げは優勝をして、次の監督にやってあげてくれ。ありがとう!」と涙ながらに選手たちに頭を下げた。監督室に引き上げていくその背中はなんとも男らしく、今も記憶に残っている。

 ルーティンの大切さなど様々な教えが福浦の記憶に残っているが、山本氏に言われたことでもう一つ胸に刻み続けた言葉がある。

「オマエが打つようにならないとマリーンズは勝てないんだよ」

 嘘でも嬉しかった。その言葉を励みに、チームの勝利に貢献するための打撃を磨いてきた。山本氏が監督を退任した2年後の05年。マリーンズは日本一になり、ボビー・バレンタイン監督が宙に舞った。その中心に背番号「9」がいた。10年にも日本一。18年には史上52人目、球団では3人目の2000本安打を達成した。紆余曲折ありながらもひたすら突っ走ってきた26年。その胸の内にはいつも山本氏から頂戴した数々の言葉と思い出があった。山本功児氏の熱さがいつも背番号「9」を優しく包み込んでいた。福浦和也は多くのファンに愛され惜しまれながら9月23日、ZOZOマリンスタジアムでの引退試合に臨む。それは恩師に捧げる感動のフィナーレでもある。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

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