思い出される旧市民球場の最後の年に衣笠祥雄が語った言葉
恐らく永川さんは、10年からの野村謙二郎監督の下でもクローザーを任される予定だったはずである。しかし10年シーズン当初に右足内転筋を損傷し、その後は主に中継ぎとしての登板となった。14年には勝ち試合の7回を投げ、8回の一岡竜司、9回のミコライオに繋ぐ役割を任されていたが、やはり「旧市民球場最後のクローザー」の印象は残り続けたように思う。
旧市民球場は12年に解体作業を終え、がらんとした空き地に外野ライトスタンドの一部が残るのみとなった。広島市が示す跡地利用の計画(広島市ホームページ「旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ」《平成27年1月》)では、このライトスタンドも解体する方向であるという。新球場建設の話が持ち上がっていたころ、ファンの多くから反対の声が上がっていた。採算が取れるのか、どうせ建設するならば同じ場所での建て替えにしてほしい……等々。しかしマツダスタジアムが連日超満員となっている現在、そのような声が上がっていたことすら我々は忘れかけている。
そして今年9月6日、永川さんが現役引退を表明した。もはや旧市民球場を思い起こさせる存在がいなくなってしまう、と思うと言い知れぬ寂しさを覚えた。しかし、旧市民球場の最後の年に衣笠祥雄が語ったこんな言葉を思い出す。「今年でその球場がなくなってしまうのは、やっぱり寂しさもあります。ただ、それは仕方がないことだとも思います。人が生まれて死ぬのと一緒で、いつまでも残っているわけにはいかないんです。時代と言うのは流れているのですから」(『広島アスリート』2008年11月号)。チームも人も変わっていく。その流れに立ち会えたことを今は幸せと思いたい。
今日、9月23日の中日戦で永川さんの引退セレモニーが行われる。15年ぶりの先発での登板が発表されている。永川さんはフォークを投げるだろうか。また首の汗をチョイチョイ指で拭うだろうか。胃薬は必要になるだろうか。永川さんがいなくなっても、カープには永川さんのモノマネがすこぶる上手い2年目の山口翔がいる。勝ちパターンの中村恭平・フランスア(Geronimo Franzua)・菊池保則の頭文字は永川さんを彷彿とさせる「N・G・K」だ。永川さんの影響は、確実に次世代のカープに繋がっていくだろう。
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