ノーヒットノーランが立て続けに達成された9月。

 6日、ヤフオクドームで快挙を成し遂げたのはホークスの千賀滉大だった。投球内容は133球を投げて奪三振12、内野ゴロ6、内野フライ5、外野フライ4、四球3、死球1。最後は「お化けフォーク」で空振り三振を奪ってみせた。

9月6日にノーヒットノーランを達成した千賀滉大 ©文藝春秋

 そして14日のナゴヤドームで、今度はドラゴンズの大野雄大が偉業を果たした。同じ月に2投手がノーヒットノーランを達成するのは、1985年6月4日のライオンズの郭泰源(ファイターズ戦)、9日にファイターズ日本ハム・田中幸雄(近鉄バファローズ戦)以来、34年ぶりのことだった。

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「達成するの早すぎです」

 大野雄に舞い込んだ300通超のお祝いメールの中にちょっと風変わりな祝言が届いた。送り主は千賀だった。中日スポーツによれば、大野雄は〈「かなり短いスパンですもんね(笑)。彼はいつか達成すると思ってましたけど、僕はできるとは思ってませんでしたからね」とニヤリ。「これから返信します」とうれしい悩みを抱え、球場を後にした〉とのことだ。

 他紙も同様の報じられ方だった。

 この2人の投手の接点についてはどこも触れていなかったので、それを紹介しようと思う。

 じつは、かつて一緒に自主トレを行った仲なのだ。

9月にノーヒッター3人を生み出した“鴻江合宿”

 千賀がプロ1年目のオフから毎年欠かさずに参加をしている「鴻江スポーツアカデミー」代表の鴻江寿治氏が主宰する合同合宿に、大野雄も12年と13年に仲間入りしていたのだ。筆者もまたかれこれ15年以上、運営スタッフとして数々のアスリートと時間を共にしてきた。パソコンのファイルを探ってみると、13年の自主トレ合宿の時の集合写真が見つかった。

13年の自主トレ合宿の時の集合写真 ©田尻耕太郎

 最後列の右から3番目が千賀だ。プロ3年目のシーズンを迎える直前。前年に1軍デビューを果たし、この年は中継ぎでブレイク。オールスターにも出場をした。その千賀から左へ2人目が大野雄だ。このシーズンに自身初の2桁勝利を挙げている。

 また、この年の参加者を見てみると、中段列の右から2番目は現巨人の中島宏之、その左が中日の吉見一起、さらに左が中日で現在は打撃投手となった西川健太郎がいた。上段の右2番目からは広島の安部友裕、千賀、中日の小熊凌祐、大野雄、当時日本ハムからオリックスへ移籍直前の八木智哉(現中日スカウト)、前年までホークスに在籍し、この年から社会人でプレーした近田怜王(現JR西日本職員)と続く。

 そして最前列の右から2番目にはソフトボール界のレジェンド、上野由岐子(現ビックカメラ高崎)も写っている。

 上野もまた、この9月にノーヒットノーランを達成した。8日、日本リーグのシオノギ製薬戦だ。

 上野に祝福のメッセージを送るとこんな返信がきた。

「千賀くんのノーノーを知ってたのでめっちゃ意識してたし狙ってましたよ~~」

 千賀は球団76年ぶりで、自身としても「人生で初めて」の一世一代のピッチングだった。「(上野さんは)何回目て感じですよね」と千賀。なので、ノーノーは7回目、完全試合は8回で計15回という事実と、上野の言葉も一緒に伝えると「それが出来るのが恐ろしい笑」ともう笑うしかなかった。

合宿の中で欠かせない時間

 ところで、この鴻江合宿。以前に比べてここ数年で、一気に球界で広く知られる存在になってきた。一体どんな場所なのかと聞かれることも増えてきた。

 まずもって、トレーニング合宿といえば朝早くから陽が暮れるまでグラウンドで練習をしたり、やみくもに走ったり、ひたすらウエイトをしたりするイメージを持たれるかもしれない。

 だが、この合宿は違う。短期集中で、長くても1週間程度。なかには3日間ほどという選手もいる。そして、この期間はただ体を鍛えるのではなく、頭と心を磨く。自分の進む道を見つける為に、まずは自分自身を知ることから始める。そこには男女も年齢も競技も関係ない。

 その入り口となる「鴻江理論」だ。原則、骨盤の向きによってタイプが分かれる「うで体(以前は猫背型とも呼んでいた)」「あし体(同・反り腰型)」に判別し、それを理解して、それに沿った体の使い方を身につけていく。

 たとえばプロ野球選手は誰もが豊かな才能の持ち主だ。そうでなければドラフトにかからない。しかし、伸び悩んだり、活躍できても短期間だったり、怪我で苦しんだりする選手は、自分の進むべき道が分かっていない場合が多い。つまり間違った使い方をしているケースも多いのだ。

 体のタイプに合わせた「答え」がある。投球も、打撃も、走り方も、それに沿ってフォームを作り上げていく。