「面倒くさいやつ」と切り捨てられがちな「意識高い系」の人々には、どんなバックグラウンドがあるのか? 外交やネットの問題に取り組んできた古谷経衡氏が、長年の構想であった『「意識高い系」の研究』を上梓した。
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「意識高い系」とは何か
「意識高い系」とは自意識の怪物である。自らの評価が実力に比して不当に高く、またその姿を他者に見せびらかしたい欲望を持った人々の一群を指す。SNS全盛時代の今、この「見せびらかし」の行為が溢れている。イイ男、できる女アピール。きらびやかな人脈をアピール。社会や政治問題へ関心が高いことのアピール。アピールアピールアピール、そう、「意識高い系」の本質は他者への自己宣伝なのだ。
なぜこのような「見せびらかし」が横行するのかといえば、それは単なる自慢ではなく他者からの承認に飢えているからだ。ではなぜ「意識高い系」は他者からの承認に飢えるのか。人はだれしも「認められたい」と思うものだが、ことさらその感情が熾烈な彼らの心理とはいったいどこから来るのか。本書はその核心に迫るものだ。
本当の強者はその優秀さが自明であるがゆえに、他者に承認を求めたりはしない。本当の強者ではなく、それまで承認に乏しかったからこそ、彼らは社会人になって(あるいは大学生以降)、ことさら他者に対して承認を求めるのである。そういう意味で「意識高い系」は【エリートになれなかった中途半端な人々】である。
「スクールカースト」と「土地」にヒントあり
本書の目的は、彼ら「意識高い系」と呼ばれる人々を揶揄したりバカにしたりするものではない。頭脳労働に従事している割合が高く、学歴や社会的地位も「そこそこ」に有している彼らが、燃え狂ったように「他者」に承認を求める、その根本原因はどこにあるのか、を探求していくことに主眼を置いている。そしてその解を、「土地」と「スクールカースト」という二つのキーワードから紐解いていく。この二者は密接不可分であり、そして青春時代の厳然たる【「スクールカースト」の宿痾を大人になっても持ち越した存在】こそが「意識高い系」の持つ心の歪みの正体である
「なぜ彼らは『面倒くさい』のか?」がこの本の帯に大きく掲載されている。読者諸兄も、職場や学校やSNS上で「面倒くさい人」つまり「意識高い系」に出会うことがままあるであろう。これまで「意識高い系」は、ネット上でも現実空間でも、批判と嘲笑の対象にされ、その文脈の中で消費されるだけの存在であった。しかし彼らは、【生まれ育った「土地」の中で形成される「スクールカースト」で良い思いを出来なかった現代社会における最大の被害者】であり、よって彼らを批判と嘲笑の中にだけ落とし込むことは、この問題の解決から最も遠いことと言わなければならない。