親子、友達、恋人、夫婦……。いつだって、「人間関係」から逃れられない私たち。他者との距離感、付き合い方に悩みはつきません。
『赤い口紅があればいい』で美人に見えるテクニックを明かしたシンガーの野宮真貴さんと、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』で素直に女を楽しめないことをぼやいたコラムニストのジェーン・スーさんが、「友情」と「恋愛」をめぐる人間関係を語り合います。
一人称が「僕」だった10代の野宮真貴
ジェーン・スー(以下、スー) ここのところ野宮さんといろいろ話してきたなかで、一番意外だったのは、野宮さんに友達が少なかったことなんです。
野宮真貴(以下、野宮) 子供の頃、本当に人見知りが激しくて、学校に行っても誰とも話さずに帰ってくるような子だったの。それじゃ友達はできませんよね。
スー 誰とも喋りたくなかったんですか?
野宮 3月の早生まれだから、劣等感があったのかもしれない。小学校に上がるときって、4月生まれの子に比べると、体も小さかったし、おしゃべりも上手じゃなかったから。それでも、クラスに1人くらいは気の合う女の子がいたので、いっつもその子と一緒にいました。
スー 中学生になるとどうでした?
野宮 相変わらずの人見知りではあったんですけど、ビートルズやデヴィッド・ボウイを聴きはじめて、ロックという自分の世界ができたから、友達がいないことが気にならなくなりましたね。70年代にロックを聴く中学生の女の子は珍しくて、数少ないロック好きの女友達と、フィルムコンサートに行ったりしてました。
スー 学校で誰とも喋らずに家に帰ってくるような子にとって、人前で歌を歌うって、苦行みたいなことではないんですか?
野宮 んー、喋るのは苦手なんですけど、歌うのは得意だったのね。自己表現をしたいという気持ちはどこかにあって、歌手になれば歌で伝えられるから、喋らなくてもいいと思ったの。それが、歌手を目指した理由のひとつ。
スー のちにその夢は叶うわけですが、中高生の頃は、友達が大勢いる子と、友達が少ない自分を、比較してしまうことはなかったですか?
野宮 自分の好きなものがわかっていたので、ロック好きなお友達が徐々に増えていたし、教室にいるアイドルに夢中になっている女の子とは話が合わなかったので、学校でそういう輪に入りたいとは思わなかったです。
スー 当時の写真を見せてもらったことがありますが、けっこうボーイッシュですよね。KISSのメイクを真似したり。
野宮 ロック少年になりたかったんです。バンドをやっていたんですけど、当時人気があったガールズバンドのランナウェイズみたいにコルセット姿で歌って女を売りにするようなことはせず、純粋に音楽をやりたいと思ってました。
スー 野宮さんは女性性を最初から背負って、自分が女であることを楽しんでいると思ってました。
野宮 逆ですね。男の子みたいな格好をして、自分を「僕」って呼んでいたくらいだもの。あー恥ずかしい(笑)。
スー 衝撃的ですよ! 自分の女性性をどう扱っていいかわからなくなる時期に、女の子の一人称が「僕」になることは珍しくないんですけど、そこを通過した人が野宮真貴に辿りつくという航路がわからない。
野宮 音楽が好きだったし、職業にしたかったので、彼氏とかいらなかったのよね。
スー でも、最初の彼氏ができたら、彼の前で一人称はどうなりました?
野宮 「僕」とは言わなかったね(笑)。