日本を代表するロックスター・矢沢永吉がきょう9月14日、70歳の誕生日を迎えた。今月4日には7年ぶりのアルバム『いつか、その日が来る日まで…』をリリース、オリコン週間アルバムランキングで初登場1位となり、歴代最年長でのアルバムチャート首位獲得の新記録を樹立した。これと前後してテレビにもあいついで出演している。NHK総合では『ドキュメント矢沢永吉』と題し、ニューアルバム
最近では、日産自動車の運転支援システムのCMで、クルマをハンドルを持たずに運転していたのも印象深い。腕を組みながらクルマを悠々と走らせる姿は、矢沢ならではだった。自動運転には人間が機械に操られるようなイメージが何となくあるが、それも彼にかかれば、たとえハンドルを持たなくても主体的に運転はできると思わせてしまう。システムに使われるのではなく、自らの手で使いこなす。その姿勢は矢沢がまさに人生において貫いてきたことではないか。
「頼っちゃいかん」――1600万円かかった裁判
1972年、ロックバンド・キャロルのリーダーとしてデビューした矢沢は、1975年のバンド解散後、ソロ活動を始めるとまもなくして、自分の楽曲の権利を管理するため出版会社を設立している。1978年に刊行し、いまなお読み継がれるロングセラー『成りあがり』では、日米の音楽業界の比較からこんなことを語っていた。
《頼っちゃいかん。ほんとに、アメリカみたいに売るまで責任持つっていうシステムも人材も、ないもの。(中略)コネクション、媒体への発言権、作詞、作曲。そういうブレーンを抱えてる。/日本は、失礼だけど、まだそこまでいってないよ。(中略)だから、音楽やりたいやつに、オレ、言っとくよ。/頼るなって。/十が全部なら、そのうちの七・八・九までは自分の力でやっていけ。残り三・二・一は黙っていても集まってくる》(※1)
矢沢はまさに「頼っちゃいかん」ということを自ら実践しようとしたのだ。それは自分の築いた財産を自分で守るということでもあった。時代は下るが、1992年、北海道のパチンコ店がテレビCMに矢沢のそっくりさんを出演させたときには、肖像権侵害で訴えている。裁判の途中、地裁からは和解を勧められたものの、彼は断った。しっかり判決を出してもらって、判例をつくりたかったからだ。結局、このとき裁判やその他もろもろで1600万円かかったのに対し、裁判で勝ち取った慰謝料は300万円にすぎなかった(※2)。注ぎ込んだ金額でいえばまったく割に合わないが、それでも彼は自分のため、さらにはほかのアーティストのためにも、そうしたのだ。