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“赤字でも”コンサートは自主制作

 矢沢はコンサートもある時期から自主制作に切り替えた。きっかけは1987年、横浜文化体育館でのコンサートを観た当時交際中だった現夫人から、お金をかけていないのがもろにわかったと指摘されたことだった。これを受けて彼はあらためて調べたうえ、それまで任せきりにしていた興行会社と手を切る。アーティストとしてファンを最高の気分にさせ、腹の底から納得させるためにも、自分のイメージ通りにコンサートを制作する必要があると考えたからだ。

1978年にスタジオで撮影された1枚。この年7月に「成りあがり」を出版

 1991年、初めて自前で制作を手がけた横浜スタジアムのコンサートは赤字だったが、これで自信がついた。翌年以降はノウハウもつき、少しずつながら経営的にも成り立つようになっていく。続けて挑んだのは、コンサートのバックバンドに外国人ミュージシャンを呼ぶための招聘ライセンスの取得だった。それまでは、外国からメンバーを呼ぶ際にはライセンスを持っているイベンター会社に委託していた。ライセンスを得るには入国管理局に申請する必要がある。だが、当時、悪徳業者が芸能ビザを悪用して外国人女性を売春目的で入国させていた問題もあり、ライセンスはなかなか下りなかった。そこを矢沢は、たまたまスタッフの身内に政界につてのある実力者がいたことから、その実力者を介して入国管理局の局長と面談し、ライセンス取得へとこぎつける(※2)。

「E.YAZAWA」タオルはなぜ定番になった?

 矢沢は初期からコンサートを大事にしてきた。『成りあがり』を出したころには、年に150カ所ものステージをこなしていた。それというのも、日本ではまだメジャーではなかったロックを、大都市から地方にいたるまで定着させたいとの思いからだった。

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2007年、武道館100回目の公演ライブを行う。30年前と同じ服装に身を包んで熱唱した

 コンサートでの矢沢は、ハーレーに乗って登場したり、マイクスタンドを回転させたりといったパフォーマンスで毎回ファンを熱狂させている。ヒットナンバー「止まらないHa~Ha」を歌うときには、ファンが一斉にタオルを投げるのが恒例だ(※3)。「E.YAZAWA」のロゴ入りのタオルは、ファングッズとしてよく知られるが、これはスタッフの何気ない思いつきから生まれたものだという。矢沢はライブの最中、汗をかくたびステージ袖でタオルを受け取って拭いていたが、そのうちに袖まで行ったり来たりするのが面倒になり、肩にかけて歌うようになった。その姿をかっこいいと思ったスタッフが、「ボス専用のタオルをつくろう」とひらめいたのだとか(※2)。なお、矢沢は、このタオルを含めファングッズもすべて自分の会社で管理している。