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「文化放送ライオンズファイター」と呼ぶ活動

 で、翌96年春、驚いたことに僕がパーソナリティの朝ワイド(『えのきどいちろう意気揚々』)がスタートするのだ。やるMANファイターズ会は自動的に「意気揚々ファイターズ会」に名称変更された。この番組のすごかったところは毎朝、「ファイターズ讃歌」がかかるのだ。そんなの今の北海道ならありふれていると思うが、これは90年代の東京の話だ。長年の日ハムファンだったある営業マンはあんまりびっくりして事故りそうになり、路肩に会社のクルマを停め、聴き入ったという。

「意気揚々ファイターズ会」の皆さん。東京ドームに復刻版の青赤キャップをかぶって集まりました。 ©えのきどいちろう

 それは「ファイターズ・エキサイティング・ネットワーク」というコーナーだった。えのきどいちろうは生涯初めて毎朝、公共の電波を使って「田中幸雄の人のよさ」や「芝草宇宙のていねいなピッチング」や「ブリトーのホームランの迫力」やなんかを話してもいいことになる。最高だ。ライオンズナイターの文化放送に完全にくさびを打ち込んだ。

 そのうち応援仲間の一人が思いついたのだが、「文化放送ライオンズナイター」を、レジスタンス活動として、僕が発語するときだけ「文化放送ライオンズファイター」と呼んだらどうだろうかということになった。

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えのきど「いやもう、ホントに今夜の文化放送ライオンズファイターは楽しみですね。皆さん絶対にお聴き逃しなく!」

相方の水谷加奈アナ「ライオンズナイターです。ファイターじゃありません」

えのきど「ライオンズファイターで耳が慣れてくると、あれ、ライオンズファイター? ファイター? ん、ファイターズライター? と、グラデーションがかかって最終的にはファイターズナイターのとこまで行くんです。遠大な計画ですよ」

 ていうか僕は朝ワイドだけじゃなく、当のライオンズナイターにゲストで呼ばれたときもこっそり「ライオンズファイター」と発語していた。このコラムをご覧のライオンズファンの何パーセントかは脳裏に「ライオンズファイター」のグラデーションがインプリントされてるはずだ。30年くらいかけて、だんだん脳裏で変化していく予定ですよ。

野球は相手あってこそのものだ

 朝ワイドは丸4年続いた。徹夜で原稿を書いてそのまま局入りしたりして、身体はきつかったけれど、その番組のなかで「ビッグバン打線」のネーミングを仕掛けたり、藤井寺球場のラストゲーム、イチローの大活躍、松坂大輔のデビュー等、パのビッグニュースを取り扱うことができた。面白かったなぁ。この間に、ファイターズは二度優勝しそうになるんだよ。上田利治監督時代だ。残念ながら二度とも夢破れた。それを僕は毎朝、生のコメントで語った。悔しいときはくぐもった声で、嬉しいときはウヒョウヒョの声で。

ガンちゃんこと岩本勉投手。これは番組で名護キャンプを訪ねたときのカットです。 ©えのきどいちろう

 まぁ、今はその名も「HBCファイターズナイター」(HBCラジオ)が現実に存在し、日本じゅうどこでもradikoプレミアムのエリアフリーで聴ける時代だ。必死の抵抗運動で「ライオンズファイター」を発語する必要はなくなった。「えー、何で日ハムファンなんですか?」という質問にも、多くの人が「北海道出身です」と答えればいい。

 また文化放送の側も柔軟になった。ある年「パ・リーグのど真ん中」をキャッチフレーズに採用したと思ったら、例えばロッテの話題を生活情報番組のなかで告知するようなった。そんなの僕がパルチザンとしてやっていたことだ。結局、1つの球団だけ盛り上げても限界があるのだ。野球は相手あってこそのものだ。対戦相手に魅力があったほうが間違いなく楽しいじゃないか。

 ライオンズファンだけでなく、すべてのパ・リーグファンにとって大変残念なことに、昨シーズンから文化放送はCSの中継放送を見送ることになった。が、安心してくれ。現場は沈黙しない。本放送とは別にインターネット中継を実施し、つまり彼らも野球を守るレジスタンス活動を始めたのだ。僕は根性あるなぁと感心している。

 だから中島大輔監督率いる文春西武よ。僕らはあくまで友軍だ。野球を愛していこう。無益な争いはやめて仲良くしよう。僕らの「文化放送ライオンズファイター」をこれからも大切にしよう。

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