当然、原因は雄大被告のDVにあるが、優里被告は「100%自分の責任」と繰り返した。白川医師は面会を重ね、優里の身に起きた不可解なこと――例えば、なぜ結愛が暴行されているのに体が動かなかったのか――について医師として原因を説いた。
優里被告は次第に捜査資料に目を通すことができるようになり、空白になっていた記憶を少しずつだが取り戻し、公判で話せるようになった。10月3日の雄大被告の公判に証人として出廷した際は「もう結愛と息子には近づかないでほしい」と言えるまでに症状から解かれつつある。
法廷で明かされなかった「意見書」とは?
白川医師は診断名も記した「意見書」を作成したが、責任能力の問題に発展することを嫌う検察側の強い反対に遭い、証拠として採用されなかった。白川医師は、診断名を出さずDV被害者に特徴的な一般的な症状との関連で証言することを条件に法廷でも意見を述べたが、医師として語りたかった重要な部分を語れなかったことになる。
私は取材を通じ、診断の過程で優里被告と白川医師の間でなされた対話を記録した「面会逐語録」を入手し、その重要な部分について「文藝春秋」11月号に「結愛ちゃん母『懺悔の肉声』」と題して寄稿した。そこで語られるのは、長時間の説教を通じて厳しく接し、時に緩めてはまた締め上げる――雄大被告の巧妙なDVのサイクルだ。
掲載に同意を得るために面会した際、優里被告は私に「診断名にまだ納得していないんです」と意外な言葉を述べ、こう続けた。
「私は娘を守ることができませんでした。私は無知で世間知らずで、母親としての知識も覚悟も足りなかった。そんな私が病名だけを切り取って報じられ、DV被害者として擁護されたいとは思わない」
全ての責任を背負おうとするこの生真面目な優里被告の姿は、DVや虐待に直面しながらSOSを発することのできない無数のDV被害者と重なって見えはしないだろうか。
優里被告の肉声の詳細は、「文藝春秋」11月号に掲載されている。