昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2019/10/16

「神宮のベンチ裏の通路で、一番走ったのは僕ですよ、たぶんね」

「ユーティリティー、便利屋。そこに誇りはありますが、満足はしていません。1軍で出始めた3年目ぐらいに、城石さんに泣かされたことがあります。『オマエ、控えの便利屋でいいやって満足してるんじゃねぇの?』って。見透かされました。そういう思いは確かにあったんです。もちろんスキがあればレギュラーを狙うようにはしてきました。……でも結局、僕の場合、代走もレギュラーも1軍でも2軍でも、やることは同じなんです。走塁練習も、守備練習もしなくてはいけないし、打撃練習もする。腐る暇はない。やれって言われたことをやり、結果を出す。あとは監督がどう使うかだけ。そのための何でもできる準備はしてありますから」

 毎年、三輪はシーズンオフに故郷の山口へ帰ると、恩師である山崎監督の家に泊まりに行くという。

「この4年ほど恒例になっていますが、1~2週間ほど共に生活していると、三輪のプロ意識の高さにうならされます。起きる、寝る、風呂、食事……すべてが野球のためにつながっている。酒も飲まず食事も野菜中心。30歳を超えてもトレーニングをしない日はありません。いつも教え子たちに三輪の話をします。あの小さな体で、あれだけプレーできているのはなぜか。私はあれだけ“準備力”の高い選手はいないと思っています。毎日毎日、準備しても出番がない日もある。2軍に落とされても腐らず、文句も言わず、ひたむきに努力する。仕事とはいえ、本当に頭が下がります」

雨の中の引退セレモニー ©時事通信社

 ここ数年、若手の台頭で“終わり”を感じることがありつつも、ベテランになった今もやることは変わらない。1軍にいても、2軍にいても、後輩に自分の姿を見せるように、目の前に置かれた自分の仕事に勤しむ。

「ダメになったら辞めたらいいだけの話。元々何度も終わりかけて、ドラフト最下位で救われた野球人生です。これまで“悔いが残る”と繋いできましたけど、何をしても悔いが残らないなんてことはないんですよ。でも、『あの時もっと練習しておけば』という悔いはないですね。毎日こんなに同じことをできる人が他にいるのかと思うぐらいはやってきましたから。神宮のベンチ裏の通路で、一番走ったのは僕ですよ、たぶんね」

 試合前のクラブハウス。饒舌に、雄弁に語り終わると、ふぅっと大きく息を吐き、気合いを入れ直す。そして、三輪正義は今日も、いつもと同じように「準備」を始めるのだ。

ドラフト最下位

村瀬 秀信

KADOKAWA

発売中

この記事の写真(4枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー