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千切れそうになる度に、縁はやってくる

 翌2007年シーズンがはじまった。三輪は新たな目標として、生まれて初めて「プロ入り」を掲げた。

「ネット裏にはヤクルトの岡林スカウトも見に来てくれていましたし、その1年間は秋のドラフトを意識してやりました。自分を客観的に見た時に、プロなんて絶対に無理だというのはわかっているんです。高校のチームメートにプロを目指すなんて言っても、一切信じて貰えないほどありえないことですよ。そんな気持ちもありながらね、期待はしていくという」

 香川の2番・ショートとして1年間プロを意識しながらプレーした三輪は、走塁をより強く意識して、リーグ新記録の40盗塁を記録とひとつの成果を残した。だが、その反面で打率は2割1分4厘と急降下。守備でもイップスを患ってしまい、野球を辞めようかと本気で考えるほど苦しい時間を過ごしていた。

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 さらに三輪にとって悪いニュースが入ってくる。前年に三輪を絶賛していたヤクルトの古田監督が9月になって退任を発表。後任の監督には高田繁氏が発表された。

「これでもうダメだろうなと思いました。そもそも会社を辞めた時に『もう一度野球がしたい』という思いだけで続けてきた野球です。本当は独立リーグも2年で辞めようと思っていたところ、3年もやってしまったし、これでふんぎりをつけられると決心がつきかけていたんです。ただ、そんな時にまた松山でヤクルトと練習試合をすることになったんですね」

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 千切れそうになる度に、縁はやってくる。その試合で三輪は再び目の覚めるような活躍をすると、高田監督からも高評価を得て、三輪正義はついに雲の上の世界への切符、この年のドラフト指名を確実なものにした。

 とはいえ、現実としていざドラフト会議で指名されてしまうと、事の重大さにおののいてしまった。

「本当に俺なんかがプロでやれるのか?」「指名拒否して野球を辞めるか?」「いやいや、じゃあなんのために独立で3年も野球をやったんだ?」「俺は何で野球をやっていたんだっけ?」……。自問自答すらもこんがらがっていた。

「僕は運がいいだけなんです。今のドラフト会議は秋季キャンプ前にやりますが、この年は分離ドラフトなので大・社ドラフトは秋季キャンプの後だったんです。そうじゃなければ僕は指名されていませんでしたよ。会社を辞めた時に四国リーグが立ち上がっていなければ、野球もやっていなかったでしょうし、そういった偶然が重なりに重なって、僕はギリギリ最下位の指名で、プロの世界に入ることができた。ただ、運でもなんでも、プロに入ってしまえば、指名の順位が1位だろうと最下位だろうと関係ないですからね」