10月22日、天皇陛下の即位に伴う「即位礼正殿の儀」に合わせ、約55万人を対象に恩赦が実施される。交通違反や選挙違反などによって罰金刑を受けた人のうち、2016年10月21日までに罰金を納め、その後再犯のない人たちが今回の対象だという。

 罰金刑を受けた人は原則として5年間は医師や看護師などの国家資格を取得できないが、今回の恩赦の対象者は5年を待たず、それらを取得できる状態となる。また、選挙違反などの罪で公民権を失った人も権利が回復し、今後は選挙権・被選挙権を行使できるようになる。

恩赦の実施は10月18日に閣議決定された ©時事通信社

 ……と言われても、いまいち釈然としないのが恩赦というもの。菅官房長官は「罪を犯した者の改善更生の意欲を高め、社会復帰を促進する見地から恩赦を実施する」と述べたが、国会の審議を一切経ずに、内閣の決定のみで犯罪者を“社会復帰”させてしまう現状の恩赦制度には、批判の声も大きい。

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 そもそも、なぜ日本には恩赦という制度が存在するのか――。その歴史を紐解いていくと、古くは飛鳥時代にまで行き着くという。そこで、東京大学史料編纂所で古代日本の研究を行う山口英男教授に、「日本の恩赦制度の起源」について聞いた。

東京大学の赤門 ©iStock.com

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――そもそも日本で「恩赦」が始まったきっかけは何だったのでしょうか?

山口 701年の大宝律令によって、日本は「律令制」を確立させました。律は刑法、令は行政法のこと。つまりは法をベースにして官僚機構を地方の隅々にまで行き渡らせ、天皇を中心とする国家制度を作ったのです。日本は中国を参考にしてこの律令制を導入しましたが、そのとき一緒に恩赦の仕組みも“輸入”したのが始まりと言えるでしょう。

中国で恩赦が生まれた“合理的な理由”

――日本の恩赦の起源は中国にあったと。当時の中国の統治制度の中に、既に恩赦が組み込まれていたということですか?

山口 そうですね。中国では王朝が新たな土地を征服したり、あるいは領国内での反乱を鎮圧したりした時に、皇帝が恩赦を施すことがあったようです。新たに自分の支配下に入ったり、あるいは再び自分の元へ戻ってきた民たちを対象に、彼らの過去の犯罪をチャラにしてしまうのです。

©iStock.com

――それは “国民”たちへの人気取りと言いますか、支持率を上げるために?

山口 それが一番の理由でしょう。ただ、支配者が変われば法律も変わります。前の支配者のもとでは犯罪者とされた人も、法律が変われば何の罪にも問われないかもしれない。あるいは、前は軽い罰で済んでいた人も、新しい支配者のもとでは死刑になってしまうかもしれない。そうした齟齬を混乱なく解決することは難しいので、そこに労力をかけるよりも、一旦全てをゼロにしてから統治し直すほうが効率的だ……。そもそもは、そんな判断から生まれたのかもしれません。