災害や飢饉、干ばつが起きたときにも実施
――そう考えると、そもそもの恩赦の始まりには合理的な面もあったように感じます。それでは、そんな中国を参考にした日本では、どのように恩赦が行われていたのでしょうか?
山口 恩赦は刑罰に関する制度なので、律令の中では「律」として定められ、法律の体系の中に初めから組み込まれていました。今回と同じく天皇の即位や改元、あとは皇太子が立てられたタイミングなどで実施されていました。やはり天皇による統治のありがたさを広めたり、その存在の特別さを示すために行われていたと言ってよいでしょう。ただ、喜ばしい出来事のみではなく、災害や飢饉、干ばつなどが起きたときにも実施されていました。
――それはどういう意味合いでの恩赦になるのでしょうか?
山口 当時は、国が天災に襲われるのは「統治者が徳を欠いた政治を行ったためだ」という考え方があったのです。だから、恩赦という“慈悲深い”行いを通して徳を補う。そして天に「今後は改めます」という姿を示して災いを収めようとしていたのです。
100年間に60回以上も行われていた!
――なるほど。しかし、災害がある度に実施していると、恩赦の回数は結構多くなりませんか?
山口 そうなんです。慶事による回数も相当に多いので、当時はかなり頻繁に恩赦が行われていました。たとえば西暦697~791年の約100年間には、実に60回以上も実施されていたようです。
――100年間に60回以上も! そこで恩赦の対象となっていたのは、どんな犯罪なのでしょう?
山口 それも「律」の中に定められています。基本的に、非常な重罪は恩赦の対象にはならなかったようです。国への反逆や謀反はもちろん、故意的な殺人や尊属殺人は対象外とされました。一方、それ以外の多くが恩赦の対象で、その中には喧嘩や傷害、仕事の欠勤、国の定めた境界を不法に越える、役人が権限を利用して利得を得る……などといった罪が含まれていました。そうした罪を犯しても、恩赦によって牢獄から出してもらえて、本来の刑である鞭打ちや懲役、流刑・死刑を免れることができたのです。
――仕事の欠勤が恩赦で許されるというのは、ちょっと不思議な感じがしますね。