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数年に1度、税の未納もチャラになる

山口 あと面白いのは、平安時代になると税の滞納までも恩赦の対象に含まれるようになった、ということです。その頃になると、中央から派遣された国司(こくし)がそれぞれの国を請け負って統治を行うようになりました。彼らは民衆から税を徴収する役目を担っていたのですが、ときにはちゃんと納めてくれない民もいるわけです。ただ、数年に1度くらいは恩赦が実施されて、未納分がチャラになってしまう(笑)。

――税金を納めたら負け、みたいな世界ですね(笑)。

山口 とはいえ、当時はメディアなんてないですし、高札を出して恩赦の実施を周知させるといったこともなかったでしょうから、おそらくほとんどの人は「いついつに恩赦が実施された」と知る機会などなかったと思います。

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平安時代に建立された平等院 ©iStock.com

――ということは、「未納分がチャラになった」と民衆の側に気づいてもらえないかもしれないわけですよね。そうなると、一体誰のために税の未納を恩赦の対象にしていたのでしょうか?

山口 未納者本人への取り立てもなくなったと思いますが、それだけでなく役人たちへの効果がありました。国司は税の徴収について記録を残し、中央に報告することを義務付けられています。すると当然、未納分も記録されるわけです。そして国司が交代になると、その記録が後任者へと引き継がれる。ここで問題になるのは、前任者が徴収できなかった税を回収する責任までも、後任の国司が負わなければいけないのか、というところです。しかし、なんだかんだ数年に1回くらいのペースで、恩赦によって未納分は不問になってしまうので、結果的に後任があおりを食うことはなくなるんです。

日本人にとって恩赦は日常だった

――なるほど。ざっくり言えば、恩赦のおかげで後任者は、前任者がサボったり、やり遂げられなかった仕事の尻拭いをする必要がなくなる、ということですね。それはそれで理にかなったと言いますか、フェアな気もします。

山口 殺人などの重い犯罪は別にして、定期的に、それも数年に1回ほどの短い間隔で過去の罪や不祥事が流されていく。これは「穢れを祓う」という文化と関連しているといえるかもしれません。いずれにしても、「罪と赦」をセットにした感覚が多くの人に共有されていたからこそ、恩赦は長らく機能していたのではないでしょうか。ただ、その前提がない状態で形だけ残ってしまうと、「時代遅れの遺物」をなぜ今も実施するのか、疑問に見られてしまっても仕方がないと思います。

©共同通信社

――当時の人々の人生観の中に、定期的に過去を洗い流す“恩赦的な感覚”が共有されていた。いわば恩赦は日常だったんですね。

山口 一方で、それを利用してしまう人もいたかもしれません。たとえば国司。本当は税を徴収したのに、「この人は未納でした」ということにして、自分の懐にこっそり入れる。バレたら大変でしょうが、そのうち恩赦になって未納分がチャラになれば……(笑)。これは、恩赦が日常だったからこそできる“裏技”ですね。