ドンは受ける。最近、週刊誌の記者たちからそんな話をよく聞く。知名度が低かろうが、ローカルだろうが関係ない。奇々怪々なエピソードの数々が、読者にはたまらないようだ。
ところで、みなさんは「ドン」の由来をご存じだろうか。どうやら、日本語ではないらしい。
《「ドン」はスペイン語に由来する。「ドン=ジョバンニ」「ドン=キホーテ」などのように、もとは貴族などの名の前につける敬称であったが、そこから権力者の意味に転じた。日本へ入ってきたのは1980年代のことで、すでに似たような意味の「ボス」ということばがあったが、それよりもスケールの大きさを感じさせる語として定着した。》(『暮らしのことば新語源辞典』、講談社)
たしかに、「ボス」とは似て非なるニュアンスを帯びている。「DON」は缶コーヒーの銘柄になり得ない。その本質が〈威厳〉や〈安定感〉ではなく、〈恐怖〉だからだ。それは、白眉最良のエリートをも狂わせてしまう。
千代田区長選 「ドン」の情報だけで戦慄したエリート
2月上旬にあった東京都千代田区長選で、こんな場面を見かけた。
「内田区議、いらっしゃいますか。こちら(選挙カーの上)にいらしてください」
声の主は、自民党推薦の新人候補(41)。この選挙が、現職を推す小池百合子・東京都知事と、「都議会のドン」と呼ばれる内田茂・元自民党都連幹事長(77)の代理戦争だったことは周知のとおりだ。後者に担がれた外資系金融マンの新人サンは、選挙戦最終日の街頭演説中、ドンの娘婿をマイクで呼び出した。
「内田区議でございます。私はこの方のことを実は(選挙前から)ネットとかで知っていたんです。あのドンの娘婿なんです。会う前、ものすごい偏見を持っていました。きっと、なんか、ドンを後ろ盾にしていろんなことを言ってくるんじゃないか。そんな偏見に満ちていたんです」
私は、がっかりした。
初めて選挙に出た彼のヘタな演説について、ではない。いきなり区議を舞台に上げるという「田舎のプロレス」に対して、でもない。よく知らない「ドン」のことを、ネットの情報だけで恐れおののく。与謝野鉄幹・晶子の血を受け継ぎ、ヨーロッパで高等教育を受け、東大が物足りなくて英ケンブリッジ大に転校したほどの秀才が、だ。内田本人が見ているわけではないのに、公衆の面前で己の「偏見」を詫び、臆面もなくおべっかを使う。
以後、彼が何を語っても、もやしっ子にしか見えなくなった。無論、その候補者は二度と選挙に出られないほどの大差で75歳(当時)の現職区長に惨敗を喫した。
笑わない、眉毛が薄い 山口武平95歳
「典型的なボスは徹頭徹尾冷静な人間である。彼は社会的名誉を求めない。『プロ』のボスは『上流社会』では軽蔑されている。彼は権力だけを求める」(『職業としての政治』)
マックス・ウェーバーは1919年のドイツでこう説いたが、100年後の日本ではドンは上流社会の住民に蔑まれるどころか、卑屈にさせる存在となっている。
(1)公の場で演説しない
(2) 主義主張を叫ばない
(3) 社会的に軽蔑されても平気
(4)私生活は几帳面
(5)異端者には徹底抗戦する
ウェーバーは政党政治のボスの特徴をこんなふうに列挙した。日本のドンはどうだろうか。
(1) 口数が少ない、声が小さい、滑舌はよくない。だから、周囲は忖度するのに必死になる。
(2) なんでもやる、素人を担ぐ、誰とでも組む。だから、国家観どころか何がしたいのかわからない。
(3) 落選経験があり、塀の上を歩いている。だから、不死鳥とか怪物とか大きく見られる。
(4) 面倒見がいいが、口封じも巧み。だから、寝首を掻かれない。
(5)反逆者を生かして殺さず、死ぬまで干す。だから、敵が新たに生まれにくい。
さらに加えて、笑わない、髪型が崩れない、下唇が大きい、眉毛が薄いというのが、私が勝手に定義する「ドンの条件」である。そのベンチマークとなっているのは、内田を遥かに凌ぐ影響力を誇った自民党のドン。現在も自民党茨城県連の最高顧問を務める山口武平(95)だ。
自民党が結党された1955年からの党員で、2010年に引退するまで県議を14期55年務めた。その間、逮捕歴も落選経験もある。それでも国会議員が就く県連会長のポストに20年以上も君臨し、全国2番目の党員数を誇る自民王国の「ドン」として名を馳せた。
その威力は、県議時代の同期である自民党幹事長・梶山静六も一目置き、総裁選が近づくと有力候補たちが我先にと東京から挨拶に出向くほどだった。「変人」の小泉純一郎が訪朝前夜、山口に丁重に電話を入れたという逸話も残る。安倍晋三は06年の総裁選に出馬表明する前に水戸の県連会長室で頭を下げた。