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「オレのこと、全国の同志が知ってっから」

 かつて、私はその時の様子を聞きにドンを直撃したことがある。

「安倍さんは立候補するので頼む、と言いに来たんだ。んだから、印象がええに決まってっぺよ。こっちが麻生支持なのはわかっているのに、わざわざ来たんだよ」

 安倍の跡を襲った福田康夫のことは、「福田さんのオヤジ(赳夫)は3、4回、ここ(県連会長室)に来て、一緒に酒飲みやったからよく知っている。オヤジは千軍万馬、東大の秀才だっぺ。せがれはまるで違うよ」。当時の執行部の写真を見せると、「んまぁ、こんなかには悪玉もいんな、評価はこれからだけど。古賀誠はあんにゃろ、やり手だから。古賀の与太公に(山口の子飼いだった)丹羽雄哉もすっかりやられちゃった。でも、伊吹文明っちゃ、なかなか慎重派だから。大人しいようだけど、しっかりしてるよ」と、言いたい放題だった。

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 そんな10年前のやりとりを思い出すと、あまりに豪快すぎて噴き出してしまう。強面の山口はアポなしで自宅に上がり込んできた初対面の私(当時20代)にも気さくに話した。そこが、マスコミを敵視し、ひたすら逃げ回る内田との大きな違いだろう。

筆者が山口武平に取材した記事「水戸より永田町を嘆く」(「AERA」2007年10月8日号より)

 山口は、麻生太郎の後見人としても知られる。「4度目の正直」で総理の座を射止めるまで麻生を一貫して支え、「陰のキングメーカー」として隆盛を極めた時には80代半ばだった。

「勝ち馬とか関係ないよ。天皇陛下と親戚なんだからね。なのにそんな顔しないよ。炭鉱の人と一緒になってあぐらかいて酒飲んだとか。人間性があるってことだよ。1回目の総裁選なんか、推薦人が16人しかいねえから、『山口さん、あと4人なんとかしてくれ』って、オレがゴルフしているところに電話をかけてきた。オレのこと、全国の同志が知ってっから」

麻生太郎が『山口武平伝』に寄せた文章「男が惚れる生き様」
『山口武平伝』には政治家のほか、元NHK会長の海老沢勝二、元内閣官房副長官の石原信雄、元経済産業省事務次官の北畑隆生も文章を寄せている

 麻生のため、腹心の額賀福志郎が総裁選に出馬する芽も摘んだ。

「夜だか、オレのカカアが電話を受けただけで、額賀は『またかけます』って、それっきりだもん。前も青木だかに出ろと言われて相談してきたけど、『あんたに当選の見込みはないよ。大臣2回辞めて、大した役員やったこともないのに、党の情勢を見ても早いよ』といってやった」

国会から遠く離れた葬祭場で見た「ドンの魔力」

 昨年末、そのカカアに先立たれた。

 筑波山の麓に位置する茨城県坂東市内のホールであった葬儀には、元財務相の額賀や自民党政調会長代理の梶山弘志の姿もあった。45年前に山口の国政進出を阻止し、以来、血で血を洗うような争いを演じてきた元建設相の中村喜四郎もベンツで駆け付け、周囲を驚かせた。永田町では過去最大規模となる次年度の予算編成が大詰めを迎える中、彼らは国会から遠く離れた田園地帯の葬祭場で2時間以上も高僧の念仏に聞き入った。財務相の麻生は、閣僚との最終折衝に臨んでいたために姿を現さなかった。

1963(昭和38)年、県議3期目に立候補した頃(『山口武平伝』より)

 最後に喪主の山口から参列者に挨拶があった。やっぱり、滑舌は悪かった。会場からあぶれた参列者たちでざわつく出入り口付近に立っていた私には、山口が何を言っているのかわからなかった。彼がマイクを握ったとたん、国会議員たちの背筋がピンとなった。その瞬間を特設のモニターで確認することで、ドンの魔力が政界引退後も健在であることは伝わった。しかし、彼を見に来た新聞記者は皆無、参列者の中にも私の同世代はほとんどいない。

「ドンの時代」のエピローグは静かに終わろうとしていた。

(文中敬称略)

山口武平伝刊行会『自民党茨城県連会長 山口武平伝』 2005年刊、定価10,000円(税込)