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 単なるパトロンと思っていた水野が、ガス人間と知ってなお、否、だからこそ藤千代は水野との縁を断とうとしない。そこに愛はあるのかと思ったところ、監督の本多猪四郎は“藤千代は水野を愛していない体”で始終演出していたという。ラスト、警察のガス人間抹殺計画は失敗に終わるが、水野にとって天恵ともいうべきその事態を、肩を落とす警察陣をよそに藤千代が自らの贖罪のつもりか、その機転により成功に導く。結果、ガス人間こと水野は藤千代との“抱き合い心中”という形で絶命。この悲恋の物語は幕を閉じる。“互いに社会・世間からはじかれた者同士”として惹かれ合った二人に真実の愛はなかった……というあまりに残酷な結末に、初見の際、しばし身動きが取れなかった。

八千草薫、女優「日本の顔」スタジオで収録中 © 文藝春秋


 だが、そうだろうか? 確かに水野は藤千代から女性・異性としての愛は得られなかった。だが、代わりに“命を捧げる”という無上の愛を受けることにはなった。それは“人間でなくなった者”に手向けられた“人間愛”であり、考えようによっては男女間の愛より深く重い。水野は最愛の藤千代から最後の最期に、ガス人間ではなく人間・水野として愛されたのでは?……そう考えれば、この救いなきラストに一条の灯を見出すこともできよう。
 この哀しい物語を創出した脚本家の木村武(馬淵薫名義もあり)は、戦前~戦後を股にかけた共産党運動家でもあり、戦時中は投獄されたこともある、とものの本にあった(10年近く収監されたそうだが、事実とすればすごいことだ)。つまり水野も藤千代も、かつて“社会に受け入れられなかった”木村自身の分身なのだ。自分が決して報われなかったこの世の悲しい現実を、八千草薫という稀代の美人女優に託したことで、木村も本多も、一歩間違うと“キワモノ”扱いされかねない荒唐無稽なおとぎ話を“美しき悲劇”に昇華することに成功した。実際、春日藤千代役は八千草さん以外考えられない。

名匠たちの創作意欲をくすぐる、はかなさと強さを併せ持つ存在感

 そもそも、先に八千草さんが出演した同じ東宝とショウ・ブラザーズ合作の特撮ファンタジー映画『白夫人の妖恋』(’56年)からして、彼女の役どころはおてんばな美少女妖魔・小青(ショウセイ)だった。昨今、NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』で有名になった長編アニメーション映画『白蛇伝』(’58年)の実写版というか、この作品の方が先で、同じ中国の古典(伝説)に原作を求めた作品だが、小青は、当時としては“やんちゃで翔んでる”美少女だった。

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『白夫人の妖恋』DVD版。写真は主演の山口淑子さん。

 そして、筆者が具体的に八千草さんを意識するのは『岸辺のアルバム』(’77年)や『茜さんのお弁当』(’81年)といった主にテレビドラマだった。彼女のスタンダードなイメージは後者にもかかわらず、印象に残ってしまうのは前者の『岸辺のアルバム』。八千草さんは、夫と成人に近い二人の子供を持ちながら、竹脇無我演じるサラリーマンと不倫する美人で平凡な主婦・田島則子役で高い評価を得た。ラストで一度は崩壊した家族が、水害で家を失いながらも、岸辺に流れ着いた一冊の家族のアルバムを拾い、以前と同じではないだろうものの家族を取り戻す……という深いテーマを作者の山田太一は、八千草さんのなで肩に背負わせていた。