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「ダメ、絶対」キャンペーンで世論は「アンチ大麻」

 こうした過去の事例から、マリファナが違法物質とはいえ、ある時期までは、ある種の寛容さをもって受け止められていたことがうかがえる。しかし1980年代に入ってから、明確な世論のシフトが起きた。レーガン大統領が始めたアンチ・ドラッグ・キャンペーン「ジャスト・セイ・ノー」に追随する形で、日本でも「輸入」された「ダメ、絶対」キャンペーンが功を奏し、芸能人による度重なる大麻関連の逮捕報道によって、世論は急速に「アンチ大麻」に傾いていったのだ。アメリカでは、大麻取り締まりの開始とほぼ時を同じくして反対運動が起きたが、日本では目立った反対運動は起きなかった。それは今にいたるまでも大きく変わっていない。

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どうダメなのか、検証する余地もない

「大麻について語るとき、日本では『古来アサをしめ縄や布に用いてきた』とよく語られますよね。それは産業用の『アサ』は『伝統文化』であって大麻ではない、と自分自身で意図的に切り離して納得させてきたんです。もともと『ハイになる』文化がほとんどなかったわけで、愉しみのために吸引するという歴史は海外諸国と比べるとあまりない。だからこそ、大麻はダメなんだ、法で取り締まられていることは良くないというキャンペーンがうまく作動したのでしょう。もっと言うと、アメリカではマリファナ問題は人種差別そのものであり、マリファナを解禁するかしないかは色々な選挙で幾度となく争われてきた。大統領選挙では、良くも悪くもマリファナ吸引経験があるかないかが候補者に問われる。それくらい、アメリカでは社会的・政治的に根深い問題であって、問題の俎上にのせられるたび民意が問われてきた。しかし、日本にはそうした歴史もなければ、土壌もない。だから法律上だめだという事だけが、外形的に残っていって、実際にどうダメなのか、検証する余地もないわけです。対象物が覚せい剤であろうが大麻であろうがどうでもよく、『全部だめ、ダメ絶対』になってしまう。大衆的なマジョリティも意味規範も同時に規定した警察のキャンペーンが、意味内容を宙に浮かせたまま、法律だけが循環的に回っているという構造だと思うんです」(山本氏)

 日本に大麻を違法指定することを指示したアメリカですら、大麻に対する科学的・医学的エビデンスがこれだけ積み上げられて、立場の変更を余儀なくされている。伝統的に「ドラッグ」に厳しい傾向のあるアジア圏でも、韓国、タイでは既に認可され、フィリピン、マレーシアなどが大麻の医療使用を前向きに認めようとしている。

真面目にマリファナの話をしよう

佐久間 裕美子

文藝春秋

2019年8月8日 発売