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“災害地名”を嫌って町名を変えようとする自治体も

 地名と地形条件が必ずしも一致しないことは、この一例を挙げるだけで十分だろう。前出の漢字一覧を作成した大学教授は、「このような漢字の用いられた土地は軟弱地盤の傾向がある」と相関関係を示しただけであり、元の論文にはさまざまな留保条件が付けられているのは言うまでもない。それでも興味本位でメディアに取り上げられた途端に表の文字だけが独り歩きしてしまう。これが時に「軟弱地盤の漢字は外聞が悪い」として地名を改めようという傾向になることを私は危惧している。

荻窪駅のホーム ©共同通信社

 数年後にそれが現実のものとなったのが千葉県習志野市谷津の事例だ。谷津は古くからの歴史的地名であるが、ある大手不動産会社が開発を行ったエリアを「奏の杜」という町名に変更する計画が持ち上がったのである。ある習志野市議会議員から連絡をいただいたのだが、現地では「谷」の字が災害地名だとする懸念が実際に表明されることがあったという。

「奏の杜」はそもそも地名ではなく企業が創作した商標である。これを正式地名とすることそのものが地名保存の観点からは非常に問題の多い行為であるが、「谷」の字が災害地名の類としてやり玉に挙げられたとすれば、これは地名の将来にとって非常に危うい傾向だ。極端な話をすれば、どんなにズブズブの軟弱地盤であっても(谷津が必ずしも軟弱という意味ではない)、適当に土を被せて「○○台」などと銘打って売り抜ければめでたしめでたしなのか。

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地名から「かつてここに津波が来た」と本当にわかるのか?

 震災の後で、「これが危険地名だ」という類の言説が世に溢れた。たとえば宮城県名取市の上余田・下余田である。余田は「よでん(ようでん)」と読むのだが、ある著者は「かつてはヨダと読んだに違いない」と決めつけ、「ヨダは津波を意味するから、津波が来た証拠」と自説を披露している。しかもヨダを津波とするのは岩手県の三陸海岸の方言だそうで、100~200キロも離れた場所の方言と「かつての読み(推定)」が一致しているからと地名を推測するのは、あまりにも我田引水ではないだろうか。

 少しでも地名をかじったことのある人なら、余田の字から連想すべきなのは古代の土地制度である。福井県越前市(旧武生市)北部に余田町という地名が現存するが、古代編戸制において50戸で1里とすべきところを、それに満たない端数の村に余部(余戸)と名づけた。素直に考えればその類であろう。はぐり=余りは現代語の「はぐれる」に通じる。

津波に襲われた福島第二原発の様子 写真提供:東京電力

 この著者によれば、秋田県にかほ市の象潟町にある塩越という地名も「津波が越えた」と推定され、福島県いわき市の小名浜や宮城県の女川(女川町)も津波を示す「男波」の変形という。福島第二原子力発電所の波倉は「波がえぐるクラ」。クラの地名が崖を意味するのは一般的な解釈で、当地に海食崖が多く見られるのも事実であるが、日常的な波が長い年月をかけて形成するのがこの地形であり、津波のように1回だけで出来上がるものではない。波倉のナミも海の波とは限らず、他の語であることを検討すべきだ。