僕ら自身でちゃんと言葉を作り上げるための「川柳」
――今回の滞在中、毎日メンバー全員で川柳を考える時間がありました。あれは、森山さんの発案によるものですか?
森山 そうですね。今作の大きなテーマが「言葉と身体の関係性」を探ることで。僕と知さん(辻本知彦)の二人だけなら、二人の会話をそのまま身体表現に落とし込んでいけばいいですけど、メンバー9人による膨大な量のダイアログを、作品に使っていくことを考えると、散文詩じゃ難しいと思いました。直接の会話の他にも、メールやスカイプのやりとりなど、色々な言葉が飛び交っている中で、改めてみんなで言葉を紡いでみようとなった時に、形式がないのがちょっと恐ろしかった。
かといって、季語が入る俳句とかになってしまうと、僕らも経験値があるわけじゃないですし、9人みんなが表立った表現をすることにオープンな人たちでもないので、どうしても大変になってしまう。連歌とか作れたらすごく格好いいなといつも思うんですけど、ああいうのは言葉をもっともっと突き詰めないと出てこないから。ある程度形式はあるけれども、頭を抱え込ませず出来る、というところで川柳を始めました。
――9人を繋ぐものが、川柳だったということでしょうか?
森山 というよりは、「言葉と身体の関係性」を探っていく時期に、僕ら自身でちゃんと言葉を作り上げてみるのはどうだろうという話になって。それが川柳だったというわけです。
――オフ日は、アートギャラリーを中心に街歩きをしていました。海外へ来た時は、ギャラリーを回ることが多いのでしょうか?
森山 海外で時間がある時は、だいたい美術館やギャラリーに行きますね。最近舞台とかコンテンポラリーダンスとかを見る習慣が少しずつ減ってきていて。何かを見たいと思ったら、だいたい映画か美術館に行きます。実際、映画や美術の方が、“時代性”がよく現れている作品が多いです。それは、僕らの作品でも意識したいし、実際アート作品から感じたことが、僕らの作品に還元されることもあります。
踊ることと芝居をすることのバランスが取りづらかった
――5歳でダンスと出会い、15歳で本格的に舞台デビュー。以来、様々な表現領域を行き来している森山さんですが、「領域の横断」に特別な価値を感じてきたということでしょうか?
森山 こだわってやっているというよりも、自分が楽にいられるスタンスを考えた結果そうなっただけなんです。そもそも、「ジャンル」とか「横断」っていう言葉に違和感を覚えるというか。なぜ踊りをする人が、芝居もしてはいけないのだろう、と。日本人はすぐジャンル分けしてしまうので。
――「ジャンル」分けに対する違和感は、昔から感じていたんですか?
森山 自分の中で、踊ることと芝居をすることのバランスが取りづらかった時期があって。その頃から、何故ジャンル分けをしようとするのかを、考えるようになりました。ただ、本当に芸を持っているという意味での“芸能人”は、昔からそういう素養を持っていたと思うんですよね。長唄ができて小噺もできて。コアの部分は、ダンスでも芝居でも変わらないと思っています。