「一社単独インタビューには応じない」という姿勢を頑なに貫く小泉進次郎。その独自ルールを解く瞬間が、国政選挙中に全国を飛び回る応援行脚だ。週刊文春編集部では2012年の衆院選以降、ノンフィクションライターの常井健一氏による密着取材を通して、彼の肉声を読者に届けてきた。今回の参院選で進次郎は選挙期間中、22道県98か所で街頭演説を決行。常井氏もその全18日間を追いかけ、「総理への道」を駆け上がろうとする彼の思いを探った。「小泉純一郎にオフレコなし」と呼ばれた男の息子は、<35歳の現在地>をざっくばらんに語った。(全4回)
(※この記事は、常井氏が街頭演説の移動中、全国各地で断続的に直撃したやりとりを質疑応答形式で一つにまとめたものです。質問文は編集の段階で実際よりも説明を詳しくしましたが、小泉氏の発言部分はできる限りそのままの形で掲載してあります。)
* * *
――今回の全国応援遊説は、初当選の翌年、2010年にあった参院選から数えて5回目になります。私がその「完全密着」を試みるようになって4回目。選挙戦の2~3週間、気候条件も厳しい中、不眠不休で寸暇を惜しんで全国を飛び回る小泉進次郎の体力を体当たりで共有しながら「素顔」に迫ろうとしているわけですが、疲労困憊した末に繰り出す演説にハッとさせられる時が毎回あります。
小泉 政治家にとって選挙というのは、「最大の訓練の場」とよく言われますけど、毎回そう思いますね。こうやって連日、殺人的なスケジュールで、演説を繰り返して日々を過ごすと、ある段階で、こう、非連続的にポンと跳ね上がる、右肩上がりではなくて、底がポンと、視界が開けるというか、自分の今まで動いていなかった脳の部分が動いたような感覚にとらわれる時があるんですよね。演説の中での、磨き上げ、練磨が繰り返される。ここは今回の選挙で強く感じましたよね。
そういうことを実践しているのがラグビー(元日本代表チーム監督)のエディ・ジョーンズですよ。選手たちに一日、三部、四部制のありえない練習をさせて、「俺たちはここまでやったんだ」という自信を付けさせた。それを貫いて、結果を出せた。演説も毎日繰り返す中で、よりよい表現、よりよい伝え方がないのかと、試行錯誤する末に行きつくところがある。もちろん到達点ではないけど、政治家を鍛えてくれるのは選挙だな、政治家の演説を鍛えてくれるのも選挙だなと思います。
今回も終盤になって、野党の自民党批判、安倍政権批判というものが、いわゆる「嫌悪の政治」であり、未来に向かった政治をやらなければならないという言葉につながった。
――終盤、演説で「野党は『自民党が嫌い』、『安倍さんが嫌い』という一点だけでまとまっている。嫌悪や憎悪という感情で政治を動かして、国民の信頼が得られますか。人を嫌い続ける政治で6年間も持ちますか」と訴えていましたね。
小泉 自分の心の底から「おかしい!」と思うことをしっかり言う。心の底から思っていることじゃないと、迫力が出ないですよ。「野党の統一候補」と言いながら、見解が統一していないことを気づいてもらいたい。あと、初めて投票する18歳、19歳に、嫌いな人を止めるためにそれ以外の全ての考えを止めておくのは政治ではない、これを政治とは思わないでもらいたい。そういうのを伝えたいという思いが強いから、自信を持って話せる。そういうことに絞っている。
一人一人が考える時代。団体組織に従ってどこを応援するのか決める時代じゃなくて、一人一人が自分の頭で考えて投票する。そういう時代なんだという思いを込めて、特に高校生たちには、すべての政党の応援演説を聞いてね、その上で考えてねと(訴えた)。
――今回の演説会場には、従来から「多数派」を占めていた妙齢の女性に加え、制服姿の学生や子どもを連れたお母さんが聞きに来ていた。子どもが楽しそうに走り回る演説会場なんて、めったに見られませんよ。
小泉 駅のホームでは高校生たちに、教科書の裏にサインしてくれと求められたけど、どういうふうに感じてくれたんだろう。街頭演説に18歳が来てくれるのは嬉しいよね。ちゃんと、何かは学んでいるんだろうね。今回、ステージの上から「18歳の人はいますか?」と聞くじゃない。そうすると、僕に触れてもらえなかった18歳が終了後に握手を求めて来て、「ぼ、僕も18歳です!」と必死に訴えてくる。そういうのも、嬉しかった。
あと、佐渡島に行ったときには来ていたおばあちゃんが「涙が出た」と言っていて、「どうして、どうして?」と聞いたら、「生きているうちに一度会いたかった」と言ってくれて。島の人ってね、来てくれることに対する「ありがとう」という思いが強いし、守らなければならないという思いに寄り添ってくれたと思ってくれて、すごく温かくしてくれるよね。
――ただでさえ綱渡りのスケジュールなのに、なぜあえて寄り道をして観光地を覗く時間を取るのでしょうか。
小泉 「この土地と言えば、これ!」とあるものを、「ちゃんと見ましたよ!」と言えることが大事ですよね。そこの人が大事にしているものを、実際に見て、印象に留めて、演説の中でも触れる。伊良部島(沖縄県)の大主神社もそうでした。「地元の氏神様に拝みましたよ!」と。相馬(福島県)ではね、中村神社。長い参道を一緒に走りましたよね。「みなさんの野馬追の時の神社に立ち寄らせて頂きました」と、そう言うのが大事なんですよ。その代わり、昼ごはんは2分でかきこむ。
やっぱり、見ていないものは自信を持って言えない。見ていないものは言えない。
――でも、自民党の選対本部では、遊説先の名物や話題、NGワードを各陣営から事前にアンケートを取って、「演説マニュアル」として確認できるように小泉さんに渡していますよね。それで十分なのでは。
小泉 あれだけを参考にすることはしない。実際に訪ねて、あの情報と重なっていくものは何か。現地から来る資料に書いてあることは、実際に聞いてみると意外とそうでもないということがある。だから、現地から仕入れる。
――方言を用いた挨拶を冒頭でやることがこれまでの得意技でしたが、今回はほとんど使っていません。封印したのですか。
小泉 必ずしも全部封じたわけではないけど、ちょっと、ちょっと、使えるところでは使っていますよ。それ以外のところでは、きちんとネタを用意している。
――小諸(長野県)での演説では、映画「男はつらいよ」の車寅次郎が繰り出す名文句「それを言っちゃ、おしまいよ」を野党の姿勢と織り交ぜながら、何度もテンポよく民進党批判したところ、聴衆に大うけ、最後には聴衆も「おしまいよ」と声を合わせていた。あれも直前に同映画のロケ地となった「懐古園」を駆け足で回って、お土産屋さんに貼ってあったポスターで上映会が毎月あることを知って、会場で話題に持ち出した。
小泉 あれも、事前に「寅さん(でまちおこししている)」と聞いていたけど、不安だった。「そんなでもないよ」と言われてしまわないか。だけど、そういう周辺情報を確かめて、本当に今でも上映会をやっているんだと、お店でポスターを見かけて、本当に月一で上映会をやっているんだと。そういう偶然の産物が大切ですよね。だから「目の中」に何が入っているかって、すごく大事。
――いわき(福島県)では、駅で出迎えた小学生と歩きながら話した話題を即興で使っていました。1分にも満たないやりとりですよ。「名物」だけじゃなくて、他愛もない子どもとの会話も演説に即興で使う。
小泉 あれは、運動で何が好きなのと聞いたら、「さかあがり」という言葉を久々に聞いたから。「手に汗があるとうまくできないんだ」と言っていたよね。あれ、なんか印象に残っていたんだよね。
――地元・横須賀(神奈川県)に入った時は、下馬評でトップを走る三原じゅん子陣営を引き締めるために「ぶっちぎりで勝たないといけない」と言った。その後、「ぶっちぎり、ぶっちぎり、ぶっちぎり、ぶっちぎり」と連発して、会場を沸かせました。在り来たりの言葉でも、2、3度じゃなくて、4度目ぐらいから笑いが起きる。話術を勉強しているなと思いました。
小泉 あの時、「ぶっちぎり」って何回言ったかわからない。「ぶっちぎり」って語呂がいいのよ、語感が。小さい「つ」と、濁音が入ることが大事。「ぶっちぎり」「ぶっとばす」「ぶっこわす」。小さい「つ」が入ると、力が入る。聞いている方も気持ちいい。「ぶっかまし」「ぶっこみ」も。耳にしてどう感じるかも大事、言葉のリズムを作るための言葉とか。
――激戦の福島選挙区では、岩城光英陣営を引き締めるために力を込めたフレーズが印象に残りました。「選挙の鉄則は、相手陣営よりも働くことです。相手陣営よりも握手することです。相手陣営よりも演説することです。相手陣営よりも電話をすることです。相手陣営よりも素直に、深く、粘り強く、闘う。どういう状況であっても最後の最後まで相手より動いた方が勝つ」。あれは、進次郎の演説を400回以上聞いた中でもベスト10に入る名演説でした。
小泉 結局、選挙はそこしかない。実はね、あの言葉のね、一つのルーツは、ニクソンなんですよ。ニクソンの選挙のモットーがあれに近い。アメリカも似ているんだね。もちろん、ニクソンは「握手しろ」とは言っていないよ。相手よりやるしかないということ、それが選挙のモットーだということ。
ニクソンの『指導者とは』って本当にすごい本だと思う。大統領の経験者が辞めてからそんなに間もない時に、世界各国のリーダーについて率直に自分の主観で書いている。吉田茂のことも、マッカーサーのことも、特にチャーチルについて書いているところが面白い。その中で出てくるんですよ。ニクソンが自分の選挙のモットーはなんなのかと。それが、「相手より強く、深く」それしかないと。
――ニクソンは著書『指導者とは』で、「私は選挙戦を始めるに当たっては常に『相手の陣営より、より多く働き、より深く考え、より強く闘おう』をモットーにした」と綴っていますね。それにしても、そんなに忙しいのに、本を読む時間なんてあるんですか。
小泉 すきまを見つけてね。この選挙の移動中にも読んでいますよ。学生時代に全然読まなかったから、足りない量を急速に追い上げている。昔は『野村ノート』(野村克也著)とかね、野球の本、技術書ばかり。今の高校球児が羨ましいのは、ああいう本が増えていて、情報量が多いこと。僕らの時代は情報が少ないから、「ホントかどうかわからないけど、自分たちの監督がそう言っているんだから正しい」という感じだった。
――どんな本が好きなんですか。
小泉 「そこ、最後でつながる!」みたいな話は、いい。小説でフィクションを読んで勉強になるのは、第一章で何気なく触れた話が最終章でつながるとか。映画とかもあるじゃないですか。あれってこういうことなのか、と。
これだけ新書、新書で、いろんな本が出るでしょ。新書を読んでいくとね、タイトルと中身にギャップがある。読んだ後に残るか、残らないか。そうなると、インターネットが出てくる前に書かれた古典。そこに書かれた話のパワーというものを自分の中で見直しています。
――でも、選挙中ですよね。移動中に読んでいた本が演説にどう生かされるか興味があります。
小泉 いやねえ、常井さんねえ、ちょっと違うな。移動中はね、なにか熟考する本だけじゃなく、次の行き先に行くことを考える本をメインにしていますよ。やっぱり一人一人と向き合う時に、その人のことを考えなくてはいけないように、次の演説会場に行くときは次の会場のことをしっかり考えないと。
応援演説と関係ない本を読んでいて、電車がついてパッと閉じて、「ハイ、演説」ということじゃなくて、着くまでにずっとその町、その村のことを考えながら、最後の最後まで第一声は街頭会場の雰囲気、景色、自分でもどうなるか最後の最後までわからない。本当に移動中は、次の会場のことを考えている。
――売店を見つけるとご当地の書籍を物色して、何かを買っていますよね。ある時は「『るるぶ』の情報量は違うね」と言って買っていた。
小泉 関係のない本を読めるのは、最後が終わって東京まで戻るときとか、移動が二時間あるから最初の一時間はそういった本を、と。それだけその土地、土地の話を練り上げています。