「2030年原発ゼロ」方針表明を断念してしまった民進党

 政府が、これまで三度も廃案になってきた「共謀罪」を「テロ等準備罪」と名前を変えただけで通そうとしている。対抗する野党は、民進党・山尾志桜里議員を中心に手厳しい質問をぶつけてきた。日替わりで新たな疑惑が浮上している森友学園への国有地売却問題でも、民進党・玉木雄一郎議員や福島伸享議員の追及が目立っているが、これらの奮闘が自分たちの党の支持率につながっている印象は薄い。

蓮舫(左から3人目)、山尾志桜里(右から3人目)。2016年民進党結党大会で ©石川啓次/文藝春秋

 国民の目を再び民進党に向けるチャンスが訪れているというのに、蓮舫代表は先月27日、この3月の党大会での「2030年原発ゼロ」方針表明を断念してしまった。支持母体の連合の反発に配慮したというのだが、党公約に「原発ゼロ基本法案」と明記したいと前のめりになっていた姿勢を早速萎ませてしまい、これでは安倍首相から乱雑に投じられる「だから国民の支持を得られないんですよ」に答えられなくなる。

『週刊金曜日』(2月24日号)で中野晃一上智大教授と対談した連合・神津里季生会長は、連合が「再稼働ありき」としているのは誤解だとし、民進党の政策について「2030年代(に原発ゼロ)と言っています。いま工程表をつくっているので基本をぶらさずにアピールしてもらいたい」(1月18日収録)と述べている。対・連合というよりも、その前段階の民進党内での調整がうまくいかなかったのが実情だろう。

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誰か、野田幹事長のレトリックを止めろ

 暴走する安倍政権を食い止めてくれまいかと民進党に期待すること数度、出鼻をくじかれる事態が続いているが、その元凶のひとつに野田佳彦幹事長の「ドヤ顔レトリック」がある。民主党代表選に臨む際、相田みつをの詩「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」を引用しつつ、「どじょうのように泥くさく、国民のために汗をかきたい」と庶民派アピールしたのは懐かしい。当時は、相田みつを美術館の来館者数が5割近く増したとの報道もあったほどだから、彼の弁舌はそれなりにウケていたのだ。

 明らかなる劣勢に置かれている現在も、野田幹事長はレトリックを連発する。ここぞ、という場面で微妙なレトリックを豪快にかましていく。「あれ、止めたほうがいいっすよ」とポップに言付けしてあげる身内は誰かいないのだろうか。いくつか例示してみたい。

「私はかつて米国と協議している時に、日本が入れないようなTPPはポール・マッカートニーが入らないビートルズを聴いているようだと言った。逆に、米国が入らない枠組みというのはジョン・レノンが入らないビートルズだ」(2016年11月14日・定例記者会見)

 安倍政権がTPPに固執するも、ドナルド・トランプが大統領就任を待たずして離脱を宣言、という絶好の攻めどころを前にして放たれた野田幹事長のレトリック。言うなればトランプは「バンドに外国人はいらない。ヒットチャートにランクインするのはアメリカ人だけでいい」と宣言しているわけだから、どっちがマッカートニー、どっちがレノン、なんて段階にすらない。4年前の自身の例え話を再び用いた形だが、その時には「日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない」「米国はジョン・レノンだ。この2人がきちっとハーモニーしなければいけない」と発言している。意図がよく分からない。

 2014年にローリング・ストーンズが来日した際、東京ドーム公演を鑑賞した安倍首相は記者団からの問いかけに対して「サティスファクション(満足)だった」と答えている。手厳しいロックファンからは、「ストーンズは、サティスファクションではなく、"(I Can't Get No) Satisfaction"(=満足できない)と歌っている」と突っ込みを浴びた。昨年、「音楽に政治を持ち込むな」という珍奇な論議が浮上したが、「ロックで政治を語るな」という定義を与野党の首脳が教えてくれた。

野田幹事長 ©時事通信社

輸血したら死んじゃうかも。でも、カラオケなら行ける。

「ビジネスでは握手だけでなく、カラオケに行って一緒にマイクを握ることもある。だが、魂を売るわけではないし、一緒に住む話でもない」(2016年11月27日・支持者向けの会合)

 共産党との選挙協力を問われて地元・船橋での会合で野田幹事長はこう答えたというのだが、「カラオケに行く」という行為のレベルを共有できるはずもない。「カラオケに行く」が「魂を売る」や「一緒に住む」よりも低いレベルに設定されているのはわかるが、さかのぼること半年ほど前には、民進党を血液型のA型、共産党をB型に例え、「輸血してもらったら、死んじゃうかもしれない」と述べており、輸血とカラオケをどうやって同じ座標軸に置けば良いのかも分からず困惑するばかり。

「思い起こしたのは、昨年のNHK紅白歌合戦の審査結果です。視聴者と会場のお客さんの投票ではいずれも白組が大きく支持されていたのに、十人そこそこの審査員の投票で、なぜか紅組が優勝しました。これには壇上の歌手たちも戸惑い、紅組司会の女優さんも何が起きたのかわからない様子でした。恐らくテレビで見た人も違和感を持ったのではないかと思います。国民の多くは、有識者会議での議論の方向性に同じような違和感を感じているのではないかと思います」(2017年1月23日・衆議院本会議)

 有識者会議設置の時点でおおよそ方向性が定まっていた「天皇の公務の負担軽減」についての議論に対してこのように苦言を呈しているのだが、紅白の審査に違和感を覚えたのは、視聴者審査・会場審査で圧倒的に白組が票数を得たにもかかわらず、審査員の持ち点が高いあまりに結果が覆ってしまったからであり、そもそも「視聴者」に投票権が与えられていない今件と比較するのは、なかなか無理がある。「同じような違和感を感じている」人は誰もいないと思う。

田中真紀子を応援する野田佳彦(2012年) ©志水隆/文藝春秋

「安倍総理、お久しぶりです。覚えていますか。野田佳彦でございます」

 何かに例えるのって慎重を期するもの。原稿を書く仕事をしていると、後々になって、あの例えはさほど効果的ではなかった、と後悔したり赤面したりする。野田幹事長の場合、少しも改善されていないことからわかるように、どうやらご自分では後悔も赤面もせずに、レトリックが巧みと思っていらっしゃる様子。PKO日報廃棄、天下り、共謀罪、森友学園等々、様々な問題で与党に詰め寄るべき議題が並んでいるタイミングで、満を持して新たな「ドヤ顔レトリック」が投じられるのではないかと不安で仕方ない。民進党の主たる議員が幹事長に詰め寄って「くれぐれもレトリックは止めてくださいね」と申し出ることは、党全体の人気回復への一助になると思う。

 昨年2月の予算委員会で「安倍総理、お久しぶりです。覚えていますか。野田佳彦でございます」と切り出し、「会社でいうと、立場は違いますけれども前社長と現社長ですから、対立的に論争する姿が国際社会から見てどう映るかなと思うときに、どうかなという気持ちが率直に言ってありました」と続けた。この時点でうなだれるが、この日の答弁はこう終わった。

「異論、反論にももっと耳を傾けていただきたいと思うんです。昔、もう亡くなっちゃいましたが、ハナ肇さんって御存じですか。クレージーキャッツの代表、喜劇役者。あの人は非常にいい言葉を残したんだけれども、自分が、人の演技が非常に下手に見えたときがあった、そのときは全く自分が成長していないときだ、自分の後輩でも、本当に下手な役者でも、この人はこんなところ、いいところを持っているんだなと気づきのあるときは一番伸びたと言うんですよね。そういうことで、御忠告申し上げて、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。」(2016年2月19日・予算委員会)

 今、安倍政権が暴走している。あるいは逃げ回っている。だからこそ、この野党の幹事長から投じられる「ドヤ顔レトリック」を止めて欲しい。

ニコニコ党首討論にて(2012年) ©三宅史郎/文藝春秋