土日をつぶして部活動にのめり込む

 中学校のサッカー部一筋で、20年間順調に指導を続けてきた先生が、突如、身体を壊した。異動先の中学校で、どうしてもサッカー部をもつことができず、バスケットボール部の顧問になったことがきっかけだった。

 サッカーは好きな競技ではあったが、けっして高度な技術指導ができたわけではない。だが、何年も続けるなかで指導のコツもわかってきた。チームはいつのまにか、県大会の常連になるまでに力をつけていた。

 チームが強くなると、地域で名の知れたサッカー部顧問とも仲良くなっていく。常勝チームの顧問たちが集まる飲み会に参加する。次々と、練習試合のオファーが入ってくる。最高に気分がよく、土日もつぶして部活動にのめり込んでいった。

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ど素人のバスケ部顧問

 5年前のこと、別の中学校への異動が決まった。

 これまで複数の中学校を異動してきたけれども、ずっとサッカー部一筋できた。ところが異動先では、バスケットボール部の顧問を担当してほしいと言われた。
サッカー部はすでにベテランの教員が指導についていたため、顧問の枠が空いていなかったのだ。校長から「何とか頑張ってほしい」と頼まれ、やむなく引き受けることにした。

 バスケットボールはまったくの未経験であり、これまで縁も関心もなかった。「ど素人」のバスケ部顧問だ。

 ルールも指導方法もわからない。ドリブルもスムーズにできない。入門書を何冊か買ったり、知り合いの教員に指導方法を教わったりしながら、なんとか「ど素人」を脱しようとした。

はじめて感じた「部活つらい」

 着任校のバスケットボール部は、県大会常連とまではいかないものの、市のなかではわりと強いチームだった。あと一歩で県大会に行ける。そんな気運が高まっているなかでの、「ど素人」顧問の着任だった。

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 夏に練習試合をしたときのことである。試合には、僅差で負けた。そのことは仕方ないと思ったのだが、子どもを迎えにきた保護者が自分に近づいてきて、普段の練習メニューについて忠告をしてきた。そのときは、「ど素人」として学ぶ姿勢で、保護者からの忠告に真剣に耳を傾けた。

 ところがそれからというもの、その保護者は週末にたまに学校にやってきては、生徒に対して直接声を発するようになった。「そこはパスだろうが!」「そんなこともわからんのか!」

 自分の指導方法や存在そのものが否定されているように感じ、次第に保護者との関係がギクシャクするようになってきた。その保護者に同調する保護者も増えていき、「部活動をやめさせて、ジュニアチームに入れてもいい」とまで言い出してきた。

 保護者のほうが、バスケットボールのことをよく知っている。「ど素人」である自分は、いつも見下されていた。そして秋にはついに体調を崩すようになってしまった。教員人生ではじめて、「部活がつらい」と感じた。