任天堂の新型ゲーム機「ニンテンドースイッチ」が発売された。

 発売前から色々と話題になった、この新型機。とりわけ予約が開始してから噂になったのは、「初期在庫が潤沢にありそうだ」ということだった。

 噂の根拠とされたのは、当初、ヨドバシカメラの通販サイトが数に制限なく予約を受け付けていたことだ。販売店の確保できる在庫数は決まっているため、通常なら予約数が上限に達すると「品切れ」となり予約は停止してしまう。だから予約をいくらでも受け付けるというヨドバシの姿勢は、意外なものだった。

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ニンテンドースイッチ発売日 ©getty

 もっとも、予想以上の人気を集めたせいで、8時間後にはヨドバシでも予約がストップしてしまった。無制限に在庫が確保できると思った人は肩すかしを食らった格好だ。

 しかし、上記のようなエピソードもあって、ニンテンドースイッチは在庫が潤沢だとか、発売直後から問題なく入手できる体制作りを任天堂が模索しているのではないかという憶測を呼んだ。

「次世代機戦争」とは流通・販売網戦争でもあった

 ゲーム業界は流通および販売のコントロールに苦心してきた。任天堂の場合には、たとえば90年代前半のスーパーファミコンまでの時代だと、玩具問屋との関係を密にすることで、ゲーム会社のトップメーカーとしての地位を盤石にした。

 任天堂と玩具問屋の関係がある以上、他社は同じ土俵で戦っても勝ち目がない。だからこそ、90年代後半に覇権をとったソニーのプレイステーションにせよ、それに失敗した松下電器の3DOにせよ、任天堂とは異なる流通や販路に勝機を見出す必要があったのだ。

 つまり90年代に各ゲーム会社がしのぎを削った「次世代機戦争」とは、単にゲーム機の性能やゲーム作品の面白さだけの勝負ではなかった。各社が新たな流通・販売網を模索し、それによって結果的に任天堂の牙城が崩された「戦争」でもあったわけだ。

 いずれにせよ、任天堂は他社よりも前に、流通・販売網を掌握することが商売の要になることを理解していた。では、任天堂がそれを最初に成し遂げたのはいつだったのか?