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流通を押さえるルーツは「トランプ」と「タバコ」

 ルーツは創業まもない時期までさかのぼる。具体的には、同社がトランプの製造・販売を開始した1900年代初頭だ。

 任天堂がトランプ製造に着手したのは、公式には1902年とされている。

 ちょうどこの年、花札に骨牌税という税金が課せられることになり、中小の花札メーカーはあいついで廃業した。しかし任天堂は定番ブランドとしての座をいち早く築くことに成功していたため、他社の廃業によってさらに業界内での地位を安定させることができた。

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 そうした中で任天堂の選んだ事業拡大の一手が、日本初となる国産トランプの製造だ。トランプにも花札と同じく骨牌税が課せられていたが、すでに寡占状態となった市場ではうまみのある新規事業だったに違いない。山崎功『任天堂コンプリートガイド -玩具編-』(主婦の友社、2014)によれば、初期のトランプは「プレイングカード」の名称で、大小さまざまなタイプのものが作られたという。

 このトランプ事業は大きく飛躍し、任天堂は一時、日本のトランプ販売シェア1位にまでなる。そのために大きく影響したのが、実は全国規模での流通と販売網を押さえることだった。

 任天堂の創業者・山内房治郎は、トランプを広範に流通させるため、同郷で知己だった、村井兄弟商会の村井吉兵衛に相談する。村井は任天堂が創業したのとほぼ同じ時期、当時まだ民営だったタバコの製造販売で成功した人物。山内は、彼の持つタバコ販売網に目を付けた。

©getty

任天堂戦略の脇役「シガレットカード」

 要するに任天堂はタバコ屋にトランプを卸して、販売してもらうことにしたわけである。こうしてトランプは村井兄弟商会の助けを借りて全国規模で販売できるようになり、トランプのトップシェアにまで至ったのだ。

 ただ、タバコ屋でトランプを売るというと、現代からすると不思議にも感じられる。これについては、タバコとトランプの箱が同じくらいの大きさだから売りやすかったと説明されることが多い。

 しかし別の事情もある。実は当時、タバコには一箱ごとに、シガレットカードと呼ばれる小さなコレクター向けのカードが封入されることがあった。タバコ販売が民営の時代、売り上げ増のため各社がひねり出したオマケ商法だ。そして、このカードにはトランプや花札の図柄が描かれていることも多かった。何枚も集めると一組のトランプや花札として使えるのだ。

シガレットカード(江橋崇『花札』法政大学出版会より)

 つまり、タバコとトランプは意外と近しいものだったとも言えるのだ。特に村井兄弟商会はシガレットカードに力を入れており、ここで任天堂の山内との協力体制が生まれたことは想像に難くない。

 のちに骨牌税が導入されたことから、シガレットカードに花札やトランプの図柄が描かれることは廃れた。だが京都の花札屋であった任天堂が、その域を超えてトランプを流通販売し成功を収めたことは、同社にとって大きな意味があった。

 優れた製品を作ることはもちろん、販売網を確保すること、そして市場を独占に導くことの重要さを、任天堂はここで学んだのだ。その経験は、後の玩具問屋との関係や、ひいては新製品の販売体制作りにまで影響しているかもしれない。