きょう3月10日は、マンガ家の藤子不二雄(A)(正しくは○にA)の83歳の誕生日だ。本名は安孫子素雄。小学校時代からの友人・藤本弘(藤子・F・不二雄)とコンビを組み、1951年、17歳にして『毎日小学生新聞』での連載「天使の玉ちゃん」でデビューした。66年間に生み出した作品は、『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『魔太郎がくる!!』『まんが道』『笑ゥせぇるすまん』など、児童向けから大人向けまで幅広い。

 幅広いといえば、交友関係も幅広い。作家の吉行淳之介、近藤啓太郎、阿川弘之、阿佐田哲也(色川武大)らとは麻雀を通じて知り合った。吉行が目を悪くしたときには、自分が白内障の手術を受けた医師を紹介したこともある。

銀座のバー「魔里」で、イラストレーターの長友啓典、俳優の小林薫と ©杉山拓也/文藝春秋

 同じく趣味のゴルフは、『オバケのQ太郎』(藤本との合作)のテレビアニメ化を機に知り合ったTBSの今井明夫(のちのノンフィクション作家・鈴木明)の誘いで始めた。ゴルフを通じて俳優の芦田伸介とも親しくなる。同年同月生まれのタレント・大橋巨泉とのつきあいは、夫人どうしの交流がきっかけとか。巨泉司会のテレビ番組にもよく出演した。のちに安孫子が『少年時代』(原作は柏原兵三の小説『長い道』)を自らのプロデュースで映画化した際には、芦田と大橋に出演してもらい、飲み友達だった井上陽水に主題歌を依頼した。監督の篠田正浩、脚本の山田太一とは面識はなかったが、自らラブコールを送って手を組む。

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仕事場にて ©杉山拓也/文藝春秋

 安孫子に言わせると「僕はコツコツやる方じゃなくて、パッと遊びに行って、いろんな人と話しているとヒントが見つかって、集中的にやれるという方」らしい(藤子不二雄(A)『78歳 いまだ まんが道を…』中央公論新社)。ときには一人でゴルフにふらっと出かけて、知らない人たちと組になって回ったりもする。食事も共にし、お互いあまりしゃべらないのを、彼が司会役に回って盛り上げ、そこからつきあいが増えることもあるという。

 これほど人間好きになったのは、高校卒業後、地元・富山新聞社で学芸部の記者を勤めていたころ、いろんな人を見た経験からだった(サンエイムック『まんが道 大解剖』三栄書房)。新聞社の仕事は面白かったが、それをあるとき「辞めろ」と言ったのが藤本弘だ。マンガで食べていくことに自信が持てなかった安孫子は、この一言で上京し、マンガ家生活を始めた。安孫子の生涯最大の友人は、やはり藤本といえる。