いまから43年前のきょう、1974年2月21日付の『朝日新聞』朝刊。長谷川町子の連載四コマ漫画「サザエさん」では、一コマ目で学校へ出かけるカツオが、サザエから弁当を持たされる。さらに授業中、三コマ目でカツオがふと教室のかたわらに目をやると、四コマ目では、クラスメイトのひとりが「ウチの両親は共かせぎでース」と、コンロと鍋で自炊している……というオチがつく。
弁当持参は、カツオのセリフによれば「給食困難」が理由だった。たしかに当時の新聞紙面をひもとくと、このころ多くの学校が給食の献立を変更するなど対処に追われ、なかには回数を減らすところも出ていたことがわかる。その原因は、前年からのインフレの亢進、そして第一次オイルショックによる「狂乱物価」とも呼ばれた物価上昇にあった。
さて、「サザエさん」はこの翌日には長谷川町子の急病のため休載、翌々日の23日付の朝刊紙面では「筆者病気のためしばらく休みます」と告知された。それまでにも「サザエさん」は3カ月以上にわたって休載したことが計6回あり(朝日新聞be編集グループ『サザエさんをさがして その2』朝日新聞社)、このときも大方の読者はいつか復活するものと思ったことだろう。だが、連載が再開されることはついになかった。したがって冒頭にあげた回が、『朝日新聞』の「サザエさん」の事実上の最終回ということになる。
戦後5年目の1949年に『夕刊朝日新聞』で始まった「サザエさん」は、その後1951年に朝刊に移り、四半世紀にわたり連載されてきた。ちなみに“最終回”のサザエさんはジーパンらしきものを穿いている。ヘアスタイルこそ終始変わらなかったものの、そのファッションは時代によって変遷を続けていたのだ。
なお、「サザエさん」終了後、『朝日新聞』朝刊では四コマ漫画の連載がしばらく途絶えたが、1979年元日、サトウサンペイの「フジ三太郎」が夕刊から移ってきたことで復活する。1991年10月にはいしいひさいちの「となりのやまだ君」と交替、97年に「ののちゃん」と改題され現在にいたっている。