子ども向けの教育的な考えは一切なし
当初の放送予定は3ヵ月間だったが、放送終了後、番組の継続を希望するハガキが一万通もテレビ局に寄せられ、レギュラー化が決定。翌76年一月から再開したという経緯がある。土曜の夜7時「坊や、よい子だ。ねんねしな」のテーマソングが聞ける週末は、ほっと一息つけた。
初めての著作『ひとりごと』で、市原さんは、「ずっと、子どもは意識してやっていなかったですね。作る側の、わたしたち大人が興味のあること、やりたいことをやっていた。子どもにわかりやすくとか、子どもを相手にした教育的な考えも、20年間、一切ありませんでした」と語っている。
番組の視聴者は大人が6割、子どもが4割だったというのもうなずける。最高視聴率は39.8%(ビデオリサーチ調べ 関西地区)を記録した。
「う、○、こも声にしますよ」
番組の収録は毎週火曜日に行われた。台本だけ2日前に手渡される。
当日、4時間の収録のうち最初の2時間は、プロデューサーと演出家と常田さんとのおしゃべりだった。
「昨日の殺人事件は何なの? とか、安保がどうしたとか。その会話から、それぞれの考えが垣間(かいま)見えるのね。そこでまた信頼ができるわけなのよ」
市原さんと常田さんに、それぞれ一話あたり約10もの役が振り分けられるのはその後だ。
リハーサルで一通り絵を見ると、すぐ本番だった。昔話には森羅万象、あらゆるものが登場する。
「何でもかんでも、動物、人間、鉱物、植物、そこらへんに転がっている石、小さい声で言えば、う、○、こ、それまで声にしますよ」
どうしたらそんなに色んな声が使い分けられるのか、魔法のように思えて不思議がるわたしに、「『まんが日本昔ばなし』の絵ってすごく格調があって、一枚一枚の絵にすごくコクがあった。あれを見ていると触発されて、自然と声が出るのよ」と市原さんは言った。