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心を寄せる。そういう遊び心が声になる

 最初わたしはこの説明がなかなか飲み込めなかった。TBSの安住紳一郎アナウンサーも『ぴったんこカン・カン』で同じ質問をしている。そのとき市原さんは目の前の年季の入った釜めし用のお釜を例にこう答えた。

「心を寄せるんですよね、モノとか人に。このお釜に、『おいしかったわ。ずいぶん長年使われて、よく磨かれているけど、もう何年お勤めしているの?』ってこちらの思いを寄せると、それに答えが返ってくる。そういう遊び心が声になるんです」

 人やモノへの思いが、身体(声帯)を動かすということなのだろう。

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 市原さんは絵が好きだった。2018年の夏、亡くなった夫の塩見哲さんの蔵書の整理を手伝ったとき、手元に残す本を尋ねると、ベッドの上で「スーチンの画集がいいわ」と言った。若いころから役作りのときには、よく画集を開いた。

「絵の中には、その場の空気感とか、人物の不安に揺れている心、爆発した怒りや狂気を描いた絵があるの。自分の描けるイメージって限られている。だけど、立派な画家の絵によって、違う世界が自分の中へ入ってくる。絵からインスピレーションを受けるのね」

『まんが日本昔ばなし』を見ると、改めて絵のすばらしさに驚く。登場人物のユニークな描き方だけでなく、人々の日々の暮らしが、日本の原風景ともいえる豊かな自然の中で生き生きと描かれている。

「昔ばなしは、めでたし、めでたし、で終わる話ばかりじゃない」

 文化庁優秀映画作品賞やギャラクシー賞期間選奨など数々の賞を受けて、大人気だったこの番組が20年で終わってしまったのは、皮肉にもこの絵の制作費にスポンサーが財布のひもを締めたからだと聞いた。

 市原さんのこんなことばが耳に残っている。

「人間ってちっぽけだっていうことを、やるたびに思い知らされたわ。昔ばなしは、めでたし、めでたし、で終わる話ばかりじゃない。どんなに素直になってもいいことは起こらない。努力しても実らない。理不尽なことがどんどん起こる。それでもこつこつと生きていく、大きなもののなかで生かされていくのが人間なんだということをまた深く思い知らされる、そこが不思議な魅力よね」

 市原さんは宗教には無縁だったけれど、色んなヒトやモノたちと交感し、声でその存在をわたしたちに知らせてくれたんだなと今にして思う。

いいことだけ考える 市原悦子のことば

沢部 ひとみ

文藝春秋

2019年12月6日 発売