いまから30年前のきょう、1987年3月14日、劇場アニメーション『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が封切られた。これは、架空の惑星を舞台に、他国との戦争状態のなか初の有人宇宙飛行に挑戦する若者たちを描いた、ファンタジーにしてリアルな青春映画である。
同作で監督・原案・脚本を手がけた山賀博之は、この映画をつくるため、大阪芸術大学在学中に知り合った岡田斗司夫、武田康廣らとともにアニメ制作会社「ガイナックス」を1984年に設立していた。当初は、OVA(オリジナルビデオアニメーション)用の企画として玩具メーカーのバンダイに持ちこんだところ、話を進めるうち、劇場作品にグレードアップし、制作のための会社もつくろうと話がどんどん大きくなっていったという。
製作費は8億円、音楽は坂本龍一に依頼し、ハリウッドでのプレミア公開も話題を呼ぶ。スタッフは、当時24歳だった山賀をはじめ大半が20代だった。若いクリエイターたちがビッグプロジェクトに挑戦する過程は、映画の物語とも重なり合う。
山賀とはやはり大学時代に知り合った庵野秀明(当時26歳)も、このとき主にメカ担当の作画監督として参加した。本作でクライマックスの迫力あるロケット発射シーンなどを手がけた彼は、後年、「アニメーターとしての自分は『王立』がピークだった」と振り返っている(竹熊健太郎編『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』太田出版)。
若い才能を注ぎこんだ『王立宇宙軍』だが、興行成績は振るわなかった。その借金返済もあり、同作が完成したらガイナックスは解散するという当初の予定は翻される。1992年頃には『王立宇宙軍』の続編『蒼きウル』が山賀より企画されるも、予算上の理由から中断(のち2014年に製作再開が発表される)。これと前後して庵野らが企画し、ヒットとなったのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~96年)である。その劇場版第1作『シト新生』は、『王立宇宙軍』からちょうど10年後、1997年3月15日に公開された。
なお、2006年に庵野はガイナックスから独立し、自分の会社「カラー」を設立、『エヴァ』の新劇場版などを手がける。先ごろ発表された日本アカデミー賞では、庵野が総監督を務めた『シン・ゴジラ』が最優秀作品賞など各賞を総なめにしたが、彼とともに最優秀監督賞を受賞した樋口真嗣もまた、『王立宇宙軍』に助監督の一人として参加していた。