よしもとクリエイティブ・エイジェンシーの所属タレント数は推定6000人。劇場に立つのにしのぎを削り、テレビのひな壇を虎視眈々と競う。その中で、地方芸人が“東京・大阪組”に勝つのは容易なことではないだろう。しかし福岡吉本出身の博多大吉氏によれば、地方で活躍することでしか得られないメリットもたくさんあるという。博多氏の実体験に基づく逆転の発想とは?
※本記事は「文藝芸人」(文春ムック)からの抜粋です。全文は誌面でご覧ください。
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そんな吉本の門を僕が叩いたのは1990年の6月、場所はもちろん、故郷の福岡だった。しかしお笑いに詳しくない方は、なぜ福岡で吉本の芸人になれたのかと疑問に思うことだろう。
別に黙っていたつもりはないが、実は吉本という芸能事務所は、27年も前から「全国よしもとお笑い化計画」というプロジェクトを掲げ、静かに全国展開を始めていたのである。
当時、福岡市の中心部・天神に開設された吉本興業福岡事務所は、吉本にとって2カ所目の地方事務所だった。本社を大阪に置いていた吉本は、東京に進出後、初の地方事務所として名古屋吉本を設立、そして数年ごとに福岡、札幌、岡山、広島、仙台、沖縄、ハワイなどに地方事務所を開設した。その歴史の中で、一時は閉鎖に追い込まれたところもあるが、紆余曲折を経て、今では国内47都道府県全てに、規模の違いはあるにしても、それでも必ず吉本の事務所というか、営業所が存在している。
つまり、芸人になろうと思ったら。
それが吉本という会社で良いのなら。
もう、そこに地域差はない。一昔前の芸人になるためには東京か大阪に行かなければならないという、そんな時代はとうに過ぎ去っているのだ。
問題は、そこからどうやって売れていくか、だろう。
僕も福岡吉本で15年、活動していた。それは芸人というよりも、情報番組のレポーターなどがメインの、いわゆるローカルタレントという肩書きでの15年だった。そこから東京にやってきて、口はばったいが、今ではこんな文章をこんな雑誌に載せて貰えるような立場になった。
「やっぱり、東京でしたね」
僕の過去を知る人たちは、決まってこう口を揃える。もちろん、東京進出は大きな転機となったし、東京に来ていなければ、今の僕はない。
しかし、厳密には違うのだ。
説明するのも面倒なので普段は適当に頷いているが、そもそも僕は地方吉本で芸人になったから、地方在住者のアドバンテージがあったから、地方を経験した上で東京に出て行ったから、奇跡的に芸人だけで食えるようになれたのだ。もしも最初から東京や大阪で芸人を始めていたら、絶対にこうはなっていない。そう僕は確信している。
もちろん、お笑いの世界において、東京や大阪に他の地域が勝てるとは思わない。それは読者の方以上に現役の芸人として痛切に感じている。そういった意味では、やっぱり東京や大阪の方が何かと有利に違いない。しかし、それらを時として凌駕するようなメリットが、実は地方には数多く眠っているのだ。そのことに、ほとんどの地方芸人が気づいていないというか、当たり前すぎて何とも思っていない現状を、僕はずっと憂えていた。だから今回は、そんな地方芸人の特権を五項目にまとめて紹介したいと思う。