いまから150年前のきょう、1867年3月25日、アメリカ人彫刻家のジョン・ガッツォン・ボーグラムが、北西部のアイダホ州に生まれた。このあとカリフォルニアで育ったボーグラムは、パリ留学を経て、38歳のときには現役アメリカ人彫刻家としては初めて、ニューヨークのメトロポリタン美術館に作品が買い取られ、その名を挙げる。

 ボーグラムの代表作は何といっても、米中西部サウスダコタ州のラシュモア山に、4人のアメリカ大統領の顔を彫った巨大彫刻「マウント・ラシュモア・ナショナル・メモリアル」だ。幅56メートルにおよぶこの彫刻では、左から順に初代大統領のジョージ・ワシントン、第3代大統領のトーマス・ジェファーソン、第26代大統領のセオドア・ルーズベルト、第16代大統領のエイブラハム・リンカーンが配置されている。ボーグラムはこの4人を選んだ理由をそれぞれ、建国(ワシントン)、国土拡張(ジェファーソン)、救国(リンカーン)、パナマ運河獲得による通商上の支配権の確立(ルーズベルト)と説明した。

マウント・ラシュモア・ナショナル・メモリアル ©getty

 地元選出の上院議員や詩人の発案で始まったこのプロジェクトは、ボーグラムが制作を請け負ったのち、1925年に着工された。当初は1年で完成する予定が、工期も費用も予定を大幅に上回ることになる。1927年には時の大統領クーリッジを招いて、当地で大々的に式典が行なわれた。それは国から資金援助をあおぐための方策だった。しかし、その後も工事は何度も停滞した。この間、ボーグラムは地元関係者と意見が対立し、一時は主導権を奪われかける。だが、彼は持ち前の政治力を発揮してこれを取り戻し、完成への望みをつないだ。

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 ボーグラムが亡くなったのは1941年3月6日、彫刻が完成段階に入っていたころだった。本人の計画では、完成まであと1年半を要することになっていたが、第二次大戦でヨーロッパが風雲急を告げている時節でもあり、連邦政府はこれ以上の国庫からの支出を認めず、工事を終了させることを決定する(H&A・シャフ『大統領を彫った男 ガッツォン・ボーグラム伝』土井亨訳、新評論)。しかし、それでも4人の大統領像はラシュモア山に出現した。

ラシュモア山彫刻の試作をするボーグラム ©getty

 ボーグラムは、共和党の大統領候補選びでセオドア・ルーズベルトを応援するなど、政治活動にものめりこんだ。反ユダヤ主義者だったが、ナチスのユダヤ人虐殺は厳しく非難した。飢餓に瀕したネイティブ・アメリカンの救済にも尽力している。また、早くから航空機産業の振興を主張し、シカゴでの空港建設を後押しするなどした。そうした先見の明を示す一方で、芸術家としては、マルセル・デュシャンに代表される前衛的な潮流には否定的であった。このほか、ヘレン・ケラーと交流を持つなど、話題には事欠かない。20世紀アメリカを代表する彫刻家であるボーグラムは、本業以外でも大きな足跡を残したのである。