デヴィッド・ボウイは、生涯のレコード、CD売上枚数が1.4億枚にも達する世界的ロックミュージシャンだった。2000年には雑誌「NME」がミュージシャンを対象に行ったアンケートで「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれたこともある。ボウイは音楽という枠を超えて、後世の様々な分野の芸術家に影響を与えた本物の「アーティスト」だった。

総落札額43億円! 最高値記録を更新する作家が続出

 現在、東京・天王洲で開催中の大回顧展「DAVID BOWIE is」(4月9日まで)のコレクションからは、ボウイの発想の源が美術、書籍、文化に対する深い造詣に裏打ちされていたことがよくわかる。とりわけボウイは、絵画、彫刻、デザインに熱心で、ツアーにも常に専属のアートアドバイザーを同行させていたほどだった。

 そのボウイが生前に世界各地で収集したコレクションを売却するオークションが昨年11月にサザビーズ・ロンドンで催された。ボウイに相応しく、すべてにおいて記録破りのオークションだった。下見会入場者数は5.5万人、入札参加者1750人。全出品作家数の半分にあたる59作家が作家最高値記録を更新し、総落札額は3290万ポンド(約43億円)にも達した。

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ボウイの冠オークションはロンドンの話題を独占した ©getty

M&A業界顔負けのプレゼン合戦

 このようにセレブのコレクションを美術分野ごとではなく、冠オークションで一括りにして売るのが最近のアート業界の潮流だ。オークションに縁のなかったセレブの新規顧客開拓にもつながるし、ブリティッシュモダン美術のようなマイナーな分野も脚光を浴びて高値に結びつく。お互いにとってウィンウィンだ。サザビーズに至っては、冠オークションの専門部署まで設けている。最近では、約6億ドル売り上げたイヴ・サンローランや、宝飾品の質も素晴らしかったエリザベス・テイラーの冠オークションが記憶に新しい。

 日本における美術商のイメージというと、日がな一日暇を持て余し、時折お客様にうんちくを傾けては絵を売る……それも契約書なしで、といった牧歌的な姿が思い浮かぶのではないだろうか。しかし、いまや現代のアートビジネスは超肉食系と化している。食うや食われるかの世界だ。

 メジャーコレクションを獲得するには、パワーポイントを駆使したM&A業界顔負けのプレゼン合戦が繰り広げられ、ときには下見会における作品の展示場所、担当オークショニア(オークションの司会者)までもが契約書で詳細に定められる。コンプライアンスも厳しくなり、握手で取引成立とはいかなくなった。私も古巣とビジネスをする際に要求される書類の多さに辟易するが、これも時代の流れというものだろう。(編集部注:石坂氏は2005~2014年、サザビーズジャパン代表取締役社長を務めた)

一度見た作品は決して忘れなかったボウイの視覚的記憶力

 とはいえ、作品の質が伴わずにボウイの名前だけで飛ぶように売れるほど、コレクターの眼は甘くない。カタログを捲っていると、そこには彼のアートに対する一貫した姿勢と、アートへの造詣の深さからくる作品の質の高さがはっきりと感じ取れる。ボウイは作品を購入する際には、アドバイサーと作品の政治的、歴史的背景、影響を受けた文筆家、芸術家について、深夜まで横断的に議論してから決めた。作家が有名か無名かは問わなかった。その視覚的記憶力は只者ではなく、一度みた作品は決して忘れなかったという。

 U2のボノのカタログへの寄稿からも、それが窺える。

「彼(ボウイ)は、彼の時代においては、他のどの時代よりも、往々にして発想が画像から得られ、世界が写真、映画、そして未だに絵画によって形作られていることを知っていた」

アウトサイダーへの深いまなざし

 オークションではバスキアの作品が約9億円で落札されたため、ボウイは現代美術のコレクターと思われがちだ。しかし、その収集対象はブリティッシュモダン美術、ドイツ表現主義、アフリカ彫刻、シュールレアリスム、アウトサイダーアート、メンフィスデザインと幅広かった。それもただ万遍なくではなく、そのまなざしは常にアウトサイダーに焦点を当てていた。それが彼の音楽や舞台の発想にもつながった。

ボウイがその作品を愛した濱田庄司はイギリスとのかかわりが深かった ©文藝春秋

 とりわけ、第一次大戦後に英国の小さな漁村セント・アイヴスを中心に展開したアヴァンギャルド美術には造詣が深かった。民芸運動に力を尽くした陶芸家、濱田庄司(1894~1978)もその中に含まれる。濱田はイギリスに渡り、セント・アイヴスに日本式の窯を開設、田舎暮らしの芸術家たちの影響を受け、帰国後益子に移住し、生涯を益子で過ごした。

 今回のオークションではこの分野が再評価され、数々の作家最高値記録が更新された。

「アートは僕にとっての基本栄養素」──この言葉にボウイの思いが象徴されている。