「芸能人の謝罪」について考えてみたい。というのも今年は劇的な変化があった年なのです。
まず先週末の沢尻エリカ被告の保釈時のスポーツ紙の見出し(12月7日)。
「謝罪難色 メディア待つ正面避け 裏口保釈 沢尻被告」(日刊スポーツ)
「裏口から保釈 沢尻被告」(サンスポ)
「裏口から車で姿見せず」(スポーツ報知)
マスコミを避けて裏口から出やがった、という各紙の思いを行間から感じたのは私だけだろうか。
夕刊紙はもっとハッキリしてる。
「沢尻被告 不機嫌保釈のナゾ」(東スポ)
「謝罪拒否の真相と裁判のこれから」(日刊ゲンダイ)
これらの記事を読んで感じたのは沢尻エリカのイライラではない。報じる側(オヤジジャーナル)のイライラ感なのだ。「なんでマスコミの前で謝罪しないんだ」という。
しかもそれは道徳心からではなく「俺たちが寒いなかずっと待っていたのに」というイラっであり、さらに言えば「せっかく記事のスペースを大きく空けて待っていたのにどうしてくれるんだよ」という事務的なイライラである。