「芸能人の謝罪」について考えてみたい。というのも今年は劇的な変化があった年なのです。

 まず先週末の沢尻エリカ被告の保釈時のスポーツ紙の見出し(12月7日)。

沢尻エリカ ©️getty

「謝罪難色 メディア待つ正面避け 裏口保釈 沢尻被告」(日刊スポーツ)

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「裏口から保釈 沢尻被告」(サンスポ)

「裏口から車で姿見せず」(スポーツ報知)

 マスコミを避けて裏口から出やがった、という各紙の思いを行間から感じたのは私だけだろうか。

12月6日、保釈され警視庁東京湾岸署を出る女優の沢尻エリカ被告を乗せた車両 ©️時事通信社

 夕刊紙はもっとハッキリしてる。

「沢尻被告 不機嫌保釈のナゾ」(東スポ)

「謝罪拒否の真相と裁判のこれから」(日刊ゲンダイ)

 これらの記事を読んで感じたのは沢尻エリカのイライラではない。報じる側(オヤジジャーナル)のイライラ感なのだ。「なんでマスコミの前で謝罪しないんだ」という。

 しかもそれは道徳心からではなく「俺たちが寒いなかずっと待っていたのに」というイラっであり、さらに言えば「せっかく記事のスペースを大きく空けて待っていたのにどうしてくれるんだよ」という事務的なイライラである。