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渦中の辻元清美に訊く「デマと保守」

常井 健一 2017/04/01

「私は左の政治活動家の発想で政治をやっているんじゃないか、と気づいた」

──それにしても辻元さん、あなた自身も変わりましたよね。多様性とか唱える割には考え方の異なる人間に不寛容で、リベラル言論人にありがちな「敷居の高さ」があって近づきにくい印象が以前はありましたが。

「いくつか転機があったと思います。東日本大震災の時に総理補佐官をやって、自衛隊とも泣きながら仕事をしたことが大きかったです。同じく、民主党政権の時に国土交通副大臣として海上保安庁を担当して、海賊対処でソマリア沖に派遣する時に、一人一人に副大臣室に来てもらって、『家族に心配なことがあったら何でも言ってください』と伝えて送り出しました。そういう経験もして自分も変わったんだと思います。

 かつて、田原総一朗さんの『朝まで生テレビ!』に出た時、田原さんが『安倍晋三は政治家じゃない。政治活動家だ』と言ったんです。その時、あっと思った。『もしかしたら、私の場合は左の政治活動家の発想で政治をやっているんじゃないか!?』と気づいたんです。政治家というのは、自分の考えと違っても多数のために必要なことだったら決断しないといけない。それと同時に、靖国神社に行って私を攻撃してくる人を守ることも私の仕事なんです。そういう立ち位置に変わったんです。政治とは考え方が違う人と対立するのではなく、その意見も聞いて、命や人権も守るのが私の仕事だとスタンスが変わったんですね」

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活動する辻元議員 ©志水隆/文藝春秋

──安倍さんも反面教師に……ですか。辻元さんは02年に議員秘書給与事件で辞職し、国政復帰するまでブランクがありました。その経験も影響していますか。

「あの時も変わったね。それまでは、自分の考え方を主張して、相手を議論でやり込めようというところがあったけど、そうじゃなくて、いろんな考えがあるし、合わない人たちとも同じ時代に生きている者として何ができるかを考えなくちゃと思うようになった。

 留置所にいて、東京地検特捜部からいろいろ事実と反することも言われて、『権力っていうのは抑制的に使わないと人生をめちゃくちゃにしてしまう』と感じた。私は雑居房に入ったんだけども、外国人もいて、8人だったかな。風呂は4日に1回。刺青だらけのお姉ちゃんもいるわけよ。でもね、みんなそれぞれに人生があるんだよね。みんな容疑者だけど、何か仕方ない事情を抱えているんだよね。『罪を憎んで人を憎まず』という言葉が何度もリフレインしたよね。だから、やっぱりいろいろな経験を経て、今日がある」

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「自民党のちゃんとした保守の人は今弾圧されています」

 辻元を始め、野党議員らの質問で自衛隊の「消えた日報」問題は発覚した。時代錯誤的な隠ぺい体質が存在し、シビリアンコントロールが効いていない実態が国会審議で詳らかにされた。結果、安倍政権は防衛相に「特別防衛監察」なる強権を発動させて調査に乗り出し、南スーダンからの撤退を決めた。

 その間、辻元のところには保守派を称する憂国の士たちが次々と助言に訪れたという。

 多数派が必ずしも正義というわけではない。少数者が正論を訴え、世論の支持があれば、マンモス与党をも凌駕できる。オープンな場の言葉だけで政党や思想の違いを飛び越え、国策が変わる瞬間は意外にあるのだ。だから、国会論戦への興味は尽きることがない。

 最後に辻元は言った。

「自民党と民進党の何人かで外交安保の勉強会を開こうと準備しています。自民党のちゃんとした保守の人は今弾圧されていますから、水面下で非合法組織のようにじっくりやろうとしています」

©常井健一

(一部敬称略)

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