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 番組がスタートすると、探偵の報告に対する上岡の反応はいつも理詰めで、ときに厳しくもあった。幽霊退治の依頼に霊媒師を登場させたところ、こんなインチキな輩をテレビに出すのは罪だと怒って退席し、そのまま帰宅してしまったこともあった。

上岡は1988年の番組スタートから2000年まで局長を務めた

「驚きだった」西田敏行の局長就任

 上岡は2000年、かねてより予告していたとおりタレントを引退する。それでも松本らスタッフは、彼が引退を翻意してもいいよう、局長退任後も後任を用意しなかった。だが、探偵が週替わりで局長代行を務めるうちに視聴率が低迷。ついに新たな局長を迎えることになる。スタッフが会議を重ねるなか、この番組の大ファンらしいと名前が挙がったのが、西田敏行だった。「西田さんなら、二番煎じではない、また新しい『ナイトスクープ』に脱皮できるのではないか」とスタッフの意見は一致し、局長就任を打診したところ、快諾を得る(※1)。

 福島県出身で、関西とは一見無縁そうに思われる西田(じつは父親が大阪府堺市出身だったのだが)の局長就任は、地元の視聴者には驚きをもって受け止められた。しかし支持を集めるまでには時間はかからなかった。涙もろいキャラクターは、スタッフの思惑どおり、番組のカラーを変えた。昨年、番組が30周年を迎えたとき、松本修は、2代目局長に西田を選んだ理由を次のように説明している。

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《時代が変わった。つまり、30年前は、本音をズバリ言うタレントが2人しかいなかった。一人は横山やすしさん。もう一人は上岡さん。でも今は100人いてる。みんなズバリ本音を言う。ワイドショーなんかみんなそう。もうズバリは古い。でも泣くのは桂 小金治さん以来。半世紀ぶり。これはすごい。あっちは噺家で泣かすのが商売。こっちは名優。涙の値段が違う。西田さんに代わって、探偵たちもそれまでは我慢していた涙を流すようになった。上岡時代には泣くなんて有り得なかった》(※2)

“泣き虫局長”だった西田敏行 ©文藝春秋

なぜ西田は退任することになった?

『ナイトスクープ』の構成作家のひとりである平野秀朗は、番組に対する上岡と西田の姿勢の違いを、《上岡さんはどちらかというと、監督とか演出者という立場で見てはったと思う。自分では思いつきもしない展開を見せられたとき、「やられた!」と感じながら。/西田さんは、自分が依頼者になった気持ちで見てはる。西田さんがよく泣きはるのは、依頼者の心の情景を想像しながら見てはるからでしょうね。依頼者の心に入り込んで、心ふるわされる快楽にひたってはるのです》と分析している(※1)。